鈴蘭の庭を持ちたる空家かな   三森梢

誰も住んでいない家に、鈴蘭が凛と咲いている。
たくさん植わっているのではないけれど、それでも荒れ始めた庭の中で白さがが際立つ。
「鈴蘭の庭」というフレーズが、大づかみな把握ながらも楚々としている。
その庭を、空家が持っている、と擬人的に表現することによって、
鈴蘭の咲く庭を持っているという空家なりのプライドが感じられるようだ。
それでいて、住人を待っているような、少し切ない気分も味わえる。

『都市 23号』(都市俳句会、2011.10)より。