2011年10月 第三回 桜湯を小さき悔と思ひけり 青山茂根(西丘伊吹推薦)

西丘伊吹×楢山惠都×神野紗希×野口る理

神野   「hi→」は、女性四人だってことを、指摘されたりしますか。

楢山   言われることはあまりないですが、自分たちを紹介するときのひとつの特徴として、言うことはあります。

西丘   「女子四人」って言ったり、「女性四人」って言ったり。

神野   ひとつの個性だなっていう感覚はある。

楢山   なんでだろう。

神野   言われるんだったら先言っちゃおう、みたいな。

楢山   うん、そうかも。

神野   スピカも、もともと仲良かった三人で盛り上がって、じゃあやろうか、って。でも、女性三人だってこと、言われることが多くて。

楢山   最初のころ、「男の子いなくてよかったね」「女の子だけでやってる感じが楽しいね」って、雑談の中でぽろっと意見が出てきて。

西丘   私たちの中で、女子だけでよかったっていう感覚のはありますけど、外へ売っていこうって意識はないですね。写真も特に載せない。

野口   いまさらですが、「よみあう」のページ、おふたりの写真載せていいですか(笑)

西丘   ああ、もちろん(笑)

楢山   誰かに知ってもらうときに、とっかかりとして、女性四人ってのがひとつあるかな。深い意味はないです。

西丘   私は、内心、ふかーいところで、女子を売るのは、ちょっと嫌だなって思ってる。でも、絶対拒否、ってほどかたくなじゃない。だから、なるべく、そこは語りたくないところかな。

神野   分かるな。でも、「いや、女とか、男とか、そういうのじゃなくって!」とかむきになるのもダサいし不毛。だとしたら、さらっと「女性三人でやってます」って言っちゃったほうが、楽なのかなって。たまたまだったから、理由聞かれても困るし。タフにやっていきたいですね。

桜湯を小さき悔ひと思ひけり  青山茂根

(句集『BABYLONE』ふらんす堂、2011.9)

楢山   茂根さん・・・。女性なんですか。

西丘   そうです。

楢山   『BABYLONE』ってタイトルは、言葉の表現だと、結構、挑戦したなっていうイメージですね。

西丘   なかなかつけられない。

神野   『BABYLONE』という句集は、どうでしたか。

西丘   好きな句集でした。海外詠、旅吟に取り組んでいる人ってあんまりいないと思うんですけど、この世界観がいいですね。あとは、モノをモノと思わないというか・・・モノを、名前のついたものだと思わないことからくる感覚。たとえば「初霜を受く舫はれしものとして」とか。一歩ひいて、そのモノを描写する。

神野   舟とか明示せずに「舫はれしもの」とぼかす。

野口   この初霜の句、どういうふうに読んだ?舟が初霜を受けているのか、それとも、舫われているとも捉えられるものとしての私が初霜を受けているのか。

西丘   最初は「私」だと思ってたんですけど、自分に霜が降りるっていうのが分からなかったので、一周して、やっぱりこれは、舟とか、モノなのかなと。でも、自分が重なっているんですかね。

神野   そのへんが曖昧になってるところが、わたしは気になりました。舟なら舟、わたしならわたしって言ってほしい。

西丘   自分の肉体と不可分ですよね。

神野   私のこの句を分かるわよね?くらいの強気の姿勢とること自体は、私もいいと思うんですけど・・・。

野口   「いはれなくてもあれはおほかみの匂ひ」とかは?

神野   いや、あれは好きだよ。狼の匂いがするもん。初霜の句は、ちょっとピントがぼけてる感じが、私はすっきりしないと思った。

楢山   舟に霜って降りるんでしたっけ。

神野   降りるんじゃないかな。ただ、「舫はれしもの」っていうふうにぼかすと、「もの=人」として読みたくなりますよね。多少の浮き沈みは許されているけど、どこかにゆるくつながれていて、どこへも行けない。初霜もよけられない。初霜くらいだから、辛すぎはしないんですけどね。

西丘   私は、舟だと思って選びました。自分がつながれてるってことを詠んでるんだとしたら、私は嫌かなあ。単純に、舟だといいかな、と思います。

神野   挙げてくれた、桜湯の句はどうですか。

西丘   桜って、かわいらしいものだし、一読して女性的な雰囲気がしますよね。でもよく読んでみると、表現の的確な句だなと思いました。桜湯って、桜の塩漬けがお湯に浮かんでいて、どちらかというと喜ばしい席で飲みますよね。でも、その華やかなイメージではなくて「悔ひ」って言ってる。その「悔ひ」っていう響きに反応しました。どんな悔いなんだろう。

野口   「悔ひ」=クイっと飲むって、音の感じもあるよね。

西丘   なるほど、そことかかってたら(笑)

楢山   この句、打ち付ける方の「杭」だったら、なるほどって思うんですけど、「悔ひ」か。

西丘   音から、漢字がいろいろ連想されてくる。内田樹さんが「やった後悔より、やらなかった後悔のほうが、自分を長い時間をかけて酢のようにむしばむ」っていうようなことを、ブログで書いてらしたんですね。それでいくと、この句は、やらなかった悔いのほうじゃないかなと思いました。桜の塩漬けっていう状態が、まさに自分の悔いで。塩漬けにして保存・・・じゃないけど、そうして封じ込めちゃったものが、お湯にいれるとひらいちゃうイメージ。閉ざしたものがちょっとひらく。それがまさに、桜湯っていう場なのかなって。桜湯の光景が浮かんできて、追体験する感じもありました。

楢山   桜湯って見た目だけだと甘そうだけど、実際にはしょっぱい。その違和感が、悔いを思い出しやすいのかな、っていう気はします。そのように感覚を掘り下げていくのは私も好きだけれど、たしかに女性的すぎるってことはあるのかな。両方の感想を持ちます。

神野   この句は、色なのかな、と思いました。桜の塩漬けにお湯をそそいだときの、ほんのりとした色が、ちょっとした悔やみの感情の、象徴としてぴったりなのかなと。はげしい後悔なら、真っ赤とか、黄色とかですけど、小さな悔いなら、桜湯の色程度かな、というところ、感覚的に分かります。

楢山   この句、「小さき」がポイントだったんですね。

神野   ただ、俳句の作り方としては、書き方でもうひと味足したいなっていうところが、私の感覚ではありますね。

野口   私も色彩が良いと思いました。「悔ひ」とピンク色の関係が不思議とリアル。なぜか梅のことも思うんですよね。「悔」と「梅」、似てるからかな。

神野   るりちゃんは『BABYLONE』はどうでしたか。

野口   夢っぽい印象を受けました。リアルがないってことではなくて、こちらが一生懸命わくわくどきどき読んで、でも、読後に「あ、夢だったのか」ってふと目が覚めちゃう、というか。あ、これぜんぶ、夢のことだったのかな、って思ったとき、なんか寂しくなっちゃう感じがして。

神野   そのさみしさを、ありとするか、なしとするかで、好みが分かれるのかな。

野口   そういうことなんですかね。

楢山   おいてけぼりな感じ?

野口   うーん、むしろ、戸惑う感じ。いや、私が素直じゃないだけなんだろうけど。

西丘   私は、一緒に旅をしている気持ちになりました。夢とは捉えなかった。

神野   リアルに。

西丘   茂根さんの目で旅してる、茂根さんの中にはいっちゃうっていう感じです。ただ、本当に好きな句っていうのは、「ミドルネーム空欄といふ涼しさに」とか、ああいうのが好きなんですよね。ニュートラルな感じ。

神野   あの句は「ミドルネーム空欄」っていうのは、日本人だっていう意味ですか。

西丘   あまりそこは深読みしたくないですね。

神野   単に、空欄である、と。

西丘   なにか書類を書いている、それは海外でかも知れないけれども、シンプルな光景として読みました。自分にはミドルネームがないってことに、あんまり意味を持たせないで、風景として描写してるのかなと思います。

野口   私が好きなのは、「らうめんの淵にも龍の潜みけり」。「龍縁に潜む」っていう季語のアレンジが巧いし、楽しい。

神野   その句おもしろいよね。

野口   残る句なんだろうと思います。

(次週は野口る理の推薦句をよみあいます。)