あぢさゐはすべて残像ではないか 山口優夢
(第一句集『残像』角川学芸出版 2011年7月)
神野 今年、何冊か若手の句集が出ましたね。さきほどの青山茂根さん(桜湯を小さき悔ひと思ひけり)の『BABYLONE』、中本真人さんの『庭燎』・・・。優夢くんの句集の中では、この残像の句が、よく取り上げられますね。
野口 句集のタイトルですしね。
神野 好きな句でいえば、「桃咲くやこの世のものとして電車」とか「投函のたびにポストに光入る」、「硝子器は蛍のごとく棚を出づ」あたりなんですけど、せっかくなので、代表句になりかけている、残像の句について、語れたらいいなと思って挙げました。
(店員さん、カットイン)
店員 デザートお持ちしました。パンナコッタです。
神野 女子会ぽい!
楢山 美味しそう。
神野 あじさいの色合いって、むらさきとも青とも水色とも言い切れないような、微妙な色がいくつも重なって、連なってますよね。そういうものをじいっと見ていると、花の全部が残像のような気がしてくる。だから、まずはこの句、紫陽花の在り方、紫陽花を描写する方法として、残像って言葉が出てくるのが、ああ分かる、って感じがしますね。で、それを「ではないか」って、疑問の形式で言ってるところで、別のニュアンスが出てくる。「紫陽花はすべて残像?」って問い掛けることで、紫陽花以外の全ては、では残像じゃないのか?っていうことも示唆してるわけで、そこに厭世感が滲みますね。でも、もちろん、眼前に紫陽花は、ある。その二段構えで、面白い句かなと思います。
西丘 「紫陽花が残像」っていうのは、巧い把握だと思いました。クレーの絵の、あの小さい四角を重ねていくような感じがします。紫陽花のがくの形の、かくかくっとしたのが集まって、ちょっとずつ色が違う。それを残像って言ったのが、すごいな、とは思いますね。ただ、「ではないか」口調が・・・
神野 鼻につく?
西丘 すこーし(笑)「すべて」っていうのも・・・。
神野 描写するっていうだけなら、「紫陽花は残像」だけでいいものね。
西丘 「すべて」と「ではないか」の合わせ技で、ちょっとかっこつけすぎじゃないかなっていうのは、はじめに読んだときも、今も、変わらない感想です。ただ、紫陽花は残像だって言った手柄がすべてを凌駕する、といってもいいかな。
楢山 私、紫陽花の、青とかむらさきとかのぼやぼやした感じが残像だっていうのも分かるし、紫陽花って枯れると汚いレースみたいな、錆びた感じになるのが好きだなって思っていて、梅雨の時期は美しいけれど、夏の炎暑の中で枯れてゆく紫陽花って、はかないし、みっともないものでもある。それが好きなんですけど、それも、残像っていう表現でよく分かる。なんで「あぢさゐ」と旧仮名を使ってるんですか。
神野 彼が旧仮名で俳句を書いてるから、平仮名表記を選べば「あぢさゐ」になるんですけど、私はここ、漢字でいいんじゃないかと思います。平仮名にくずすと、レトロ感が出過ぎちゃうような。
野口 「残像」って言葉だけを漢字に残して、強調したいんでしょうね。
西丘 私も、漢字にしてくれたほうがいいかも。
楢山 小説を書いていて、いきなり文語調になるとか、ないんですね。だから、俳句で旧仮名や文語が出てくるっていうのが、新鮮でした。だから、否定的なわけではないんですが、旧仮名とか出てくると、いちいち「なんでこの表記なんだろう」って、立ち止まって考えるところはあります。
野口 『残像』というタイトルは、あまり攻めていないというか、置きにいった感じがしました。あと、純文学っぽくなるというか。小説の賞の候補作品に、よくありそう。)
神野 かげろう的な?
野口 鬱屈としたものを抱えてるんだけど、でも頑張ってるナイーブな青年像が見え・・・いや、考えすぎかな。
楢山 『残像に口紅を』って小説、ありますもんね。筒井康隆。
神野 へー、素敵だね。
楢山 「すべて残像ではないか」っていわれて、なんて答えるかな・・・。この人、残像かどうかを聞きたいんじゃなくて、そう思っちゃってる自分を、引っ張ってくれませんか?みたいなかんじなのかな。
神野 おお、そうだと思う。
野口 たしかにたしかに。
楢山 引っ張りたい気持ちもするんですけどね・・・
野口 あれ、優夢さんから電話かかってきたんですけど・・・
楢山 すごいタイミング。
野口 (電話に出て)もしもーし。今、「よみあう」録ってて優夢さんの悪口を言ってたところです(笑)そう、新宿にいるんですよ。・・・え?奇遇?池袋にいる?奇遇ってほどではないですね。甲府よりは近いか。このお店は、22時で出なきゃいけないので、新宿に来られるなら、合流しますか。ええ。はい。こっちに来てください。はい。池袋には行きません。はい。じゃあ、22時過ぎに新宿アルタ前で。はい。・・・「いいとも」いただきました(笑)
一同 あはは(笑)
野口 はーい、では、またあとで。(電話切る)
神野 中本真人さん、山口優夢くんなど、若い人たちの句集がここのところ、たてつづけに出てますね。読んでみてどうですか?私は、二人とも詠みかたは違うけど、人間を詠んだ句がすごく多いな、という印象でした。自然が薄い、というか。若手の傾向ではあるのかな。人間に興味が寄ってる。優夢くんが、内側の「どう認識するか」を書いてて、真人さんは、外側の「なにを認識するか」を書いてるような。
西丘 「なまはげの指の結婚指輪かな」(中本真人)。すごいと思った。
神野 でも、そこはある程度、認識の仕方にパターンがあるような気がするんですね。真人さんの句の「卒業の留学生のチマチョゴリ」、「シャンプーを借り合ひ海女ら髪洗ふ」、もちろんよく出来た句なんですけど、ふつうはこうだってものの、違う顔を見つける、っていう捻り方は、パターンで出来ているように思える。
野口 そういう意味では、オチのある句が多いな、っていう気はしました。
神野 そうだね。
西丘 「遠足の三百人の予約席」(真人)。
神野 「鯛焼の真鯛をゑがく暖簾かな」(真人)。
野口 ここ、笑うとこ、ってのが分かりやすい仕掛け。関西の形式美的?
神野 「僧に向き檀家に向きて扇風機」(真人)、こういう句は、わたし、好きですね。
野口 いいですね。
神野 オチ感もない、シンプルに描写してる。法事の席かな。そういう句が好きでした。
野口 学校のことを詠んだ句も多かったですね。先生をしている生活を詠んだ句。
楢山 落第の句が印象に残ってます。「落第のひとりの異議もなく決まる」(真人)。
野口 満場一致。
神野 よっぽどダメな子だったんだね。情状酌量の余地もないような。
楢山 先生だから、こいつをどうにかしようって、みんな考えたはずだけど・・・。
神野 ダメだった。
楢山 人生の中の、白黒つけなきゃいけないところの、黒になっちゃった。ゆずりたいけどゆずっちゃいけないってところがよかったです。
神野 こういう、冷徹さが出てる句、いいですよね。淡々と。
西丘 「大試験終はり教科書残りたる」(真人)も好きでした。力が入っていない。
神野 伊吹ちゃんは 『残像』はどうでしたか。
西丘 これ、言っていいのかな・・・優夢さんって、もっといい句なかったですか?
野口 おおおお(笑)
西丘 句会いっしょにやったりして、もっといい句、あった印象だったんですけど・・・でもそれは、私の好みの句が入っていないだけかも。ただ、全体に淡い感じになってるというか。優夢さんって感じがあまりしてこないのが・・・。ふだん感じてたより、特徴が弱めという印象があります。
楢山 「ふだん」・・・。私の中の優夢さん像が、どんどん広がっていく・・・
神野 会ったことないんだ。
野口 今日、このあと、もうすぐ会えますよ(笑)『残像』は、優夢さんと近しいせいか、知ってる句が多かった句集でした。
西丘 これは自選ですか?
神野 自選です。
楢山 わたしの中の若い詩人のイメージっていうのがあって。若い詩人は、北国出身でなければならず、冬の雪の中、電車に無賃乗車し、南の国を夢見るみたいなイメージがあるんですよ。そういう人ですかね、繊細な。いたいけな。
神野 優夢が?
楢山 今、話を聞いてて、そういう感じの人なのかなと思いました。
野口 東京生まれ東京育ち、シティーボーイですね(笑)
神野 でも、繊細は繊細だよね。東京生まれの繊細。あとがきには「僕の句は故郷のどっしりとした景色も、悲惨な戦争体験も、伝統を重んじる姿勢も、芸術家の破たんした私生活もない。ただ平成不況と言われるどうにも曇り空が続くような世相の中で、特別貧しくもなく豊かでもなく、ぬくぬくと生きていたその景色があるだけだ。そんな僕の軽い言葉にどんな意味があるのか」と書いてます。
楢山 それを、言うか言わないかって選択肢もありますね。優夢さんって、本名ですか?
野口 本名です。
楢山 素敵な名前ですね。
神野 でも、同年代の人の句集が読めるのは、嬉しいことです。関悦史さんの句集も、そろそろでるのかな。この人の句が読みたいって思える人がいるのは嬉しいことですね。今日は、ありがとうございました。これにて、女子会終了したいと思います。
野口 「これにて」って、すでに女子会っぽくない(笑)
(無事、優夢くんと会えました。このあとの様子は、番外編 山口優夢と男性俳句・女性俳句についてちょこっと語るにて。)
(終)