「よみあう」番外編
スピカ雑誌版、近日発売!目下制作中のvol.1特集「男性俳句」に関連して、会社の研修で甲府から東京へ来ていた山口優夢さんと、語り合ってみました。
(新宿アルタ前で優夢氏と待ち合わせ、近くのBARへ。)
野口 「男性俳句」という特集名を聞いて、どう思いましたか?
山口 いやあ、女性俳句、女性俳句っていわれるから、それに対抗して、新しく対立概念をつくりたいんだなあって、気概を感じました(笑)
野口 うわあ…
神野 言い方が嫌みだったよね、今。
山口 いやいや、素直な感想として…(笑)でも、男性俳句って、括りが難しいですよね。女性俳句ありきで、それに対する概念として作るってことなんですか。なんでも入っちゃうっちゃ、なんでも入っちゃうところが…。
神野 なんでも入っちゃうっていうのは、女性俳句は女性のつくった俳句としてある程度傾向が限定できるけど、男性俳句は、むしろ俳句そのものが男性的であるっていうこと?
山口 …っていう意味ですよね。言いながら、そういうふうに返されるとは思ってました…。
神野 結果的には、男性俳句ってこういうものですよ、っていう特集にはならなかったです。
山口 男性俳句って概念が成立するかどうか、みたいな。
神野 そうだね。あえて男性俳句ってのを立ててみることで、性別で俳句を語ることの意味みたいなものを知りたかった、ってかんじでしょうか。
山口 男性俳句っていうと、男性性みたいなもの…たとえばマッチョイズムな句っていうのが思い浮かびますね。
神野 そう、はじめはね、男性俳句にもこういう傾向があるんですよ、っていう、句の表現に即してみていこうと思ったの。でも、そうすると、乳房とか詠んだり、女性っぽいたおやかな詠みぶりだよね、っていうことを言うのと同じことだなって思って、なんか不毛な気がしちゃって。
山口 男性俳句っていう概念の既定のしかたをするときに、男性が作っている俳句から、なにかしらの傾向を抽出するのか、それとも、男性性の概念が先だってあって、それに合う俳句を探していくのか。前者のありかたは、前田普羅を挙げる人もいれば、北大路翼を挙げる人もいて、人それぞれってことになっちゃう。後者でやってったらどんづまりというか。っていうことを、女性俳句の議論のネガとしてやりたいってことで捉えていいんだったら、女性俳句でやればいいじゃないですか(笑)
神野 女性俳句って括りも、そういうことじゃないですか?っていうね。
野口 どう?男性俳句について語るの、不毛でしょ?不毛です、みたいな。
山口 でも、女性俳句って言いたがってるのは、男性だけじゃないでしょう。
神野 そうなんですよ。そこがちょっと面倒で。女性同士での差別化ってのもある。産む産まないとか、結婚するしないとか、ほかにも、女性にも分からない女性性ってのは結構存在するんだよね。
山口 なるほど。
神野 そういえば、ジョージアのCMで「男ですいません」ってのが今あるのね。あれ、うちの大学の演習で例として挙げた女の子がいて、みんなでそのCM見たんだけど、ほら、うち女子大だから、みんな「うわあ」ってなって。
野口 「男ですいません」って、全然あやまってないよね(笑)
神野 男万歳、って意味だよね(笑)
山口 たしかに、「男ですいません」って言っちゃう気分はあるかも。「女ですいません」って言われたら、凍りついちゃうかも。
神野 なるほど、ユーモアの性差の問題かな、それは。
山口 どうしていいかわかんないですね、「女ですいません」って言われたら。自虐的に聞こえる気がする。
神野 優夢くんは、俳句において、男性らしさ、女性らしさってあると思いますか?
山口 そういう句ももちろんあると思いますけど、俳句にとって、そんなに大切なベクトルだとは思わないです。男性らしさねえ…
神野 女性俳句の特集が、総合誌などで組まれますよね。ああいう特集については、どう思ってますか。
山口 いや、もう、いいでしょう(笑)もう、要らないっす。全然要らないっす。
神野 なんで?
山口 総合誌の女性俳句特集について言えば、こないだの角川の「俳句」2011年7月号の「女性俳句のこれから」の宇多さんと鍵和田さんの対談でも、「昔は女性が俳句をやるのは大変だったのよね」っていう苦労話が前面になるわけじゃないですか。たしかに、それは本当に大変だったんだと思いますし、マスコミ的には、それを語りついでいくのは大切ですよねっていうんだろうと思うんですけど、僕は、いまさらそれを読みたいとは思わない。
神野 どんな女性俳句の特集なら読みたい?
山口 いまんとこ期待はしないですけど…
神野 このジャンルにも可能性はある?
山口 どんなことにしても、可能性を否定し切るのは難しいじゃないですか。でも、僕の想像力の範囲内では、もういいんじゃないかっていう気がしてます。たとえば鈴木その子…あ、その子じゃないや。
野口 美白…(笑)
山口 鈴木しづ子に代表されるような、女性性の表現だったり…いや、あれをそもそも、女性性の表現といってしまっていいのかどうかってとこも悩みますけど。女性性の表現として捉えられてきた、女性らしいっていう価値観って、今の時代では、変わってきてますよね。女性らしさが。じゃあ、紗希さんや佐藤文香や、最近の句を見て、女性性っていう切り口で見て、面白くなるように思えない。
野口 創作において、性別…男女の差なんて関係ないって、言うのは簡単なんですけど、なぜ意味がないのか、なぜ意味がないのにジャンルが愛されているのか。そこのところを詰められたら面白いかなあって思ってるんですけど、難しいですね。でも、関係ないって言ってるだけでは、なんにもならないような気がしちゃって。
山口 ドラマは感じるわけですよね。女性俳句ってものに。御中虫さんが「排泄をしようぜ冬の曇天下」っていう句をつくったとき、女性がこういうことを言い放つその背景みたいなものへの思いめぐらせ込みで、ドラマを感じて面白いっていうところはある。
神野 読者のニーズとしては、やはり、俳句に人生を求めるって人も、かなり多くいるっていう、そういうことかもしれませんね。
野口 じゃあ、山口優夢さんの句っていうのはどうですか?出たばかりの第一句集『残像』(角川学芸出版)とか。作ってるとき、編んだときに、男性性を意識しますか。
山口 しないねー。
野口 「梅雨長し髭はつぶやくやうに生え」。
山口 たまたま、素材が男性特有のものだった、っていうくらいで、意識はしてない。
野口 そうですよね。女性も、たまたま、素材が自分のからだとか、自分の身辺ってことなんだと思うんですよ。
山口 でも、作者のレベルと、評論のレベルは違う訳じゃないですか。僕の髭の句が、男性性の発露で…みたいな評論を組み立てられたら、僕としては何にも言えないというか、たしかに、という。
神野 そうですよね。だから、女性俳句の場合も、安易にそういうことが行われてきたふしはある。読者の側の問題ですよね、女性俳句っていうのは。そりゃ、ふつう、そこまで、創作するときに自分の性別なんて意識しない。
山口 桂信子「ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき」。
神野 そりゃ、女性俳句じゃないかっていわれたら、女性俳句なんだけど、そういうレベルの話だとしたら、ジャンルとして、低次元ではある。そのジャンルを、高次元におしあげるのか、そもそもジャンルとしてあまり取り上げたくないっていうふうになるのか、ふたつのいきかたがありますよね。
野口 御中さんの「排泄しようぜ」の句にしても、男性がこれ言うとドラマがないかっていったら、そんなこともなく。作者が女性であるときの意味合いとは違うと思うけど。
山口 男性女性ってどうなんだろうね…
野口 多くの場合、作り手は意識しないってことは…
神野 読みの問題なんだよね。
山口 なんか、実になることがいえなくて、どうもすいません(笑)
神野 じゃあ、最後に実になることをひとつ。
野口 まとめをお願いします(笑)
山口 えっ!?容赦ないですね…(笑)
野口 うふふふ(笑)
山口 女性俳句を否定する必要はないと思うし、男性俳句でスピカがどんな枠組みを提示できるのかってことを、僕は期待してますけど、ただ、いずれにしても、枠組みから新しい方向性とか概念が掘りだせないと意味ないですよね。乳房がどうってときに、女性の肉体性がよく表れてるっていうのは、百年前から言われてることで、いまさら言ってもしょうがない。でも、そこから何か、この平成不況を反映して…っていうような、時代を反映したものが出てくるんだったら、ひとつ、意味があるかもしれないです。たとえばそういう発展性があるんだったら、女性俳句や男性俳句っていう、ちまちました枠組みでも、あるに越したことはないと思ってます。なにか見つけたいなっては思うんですけど、この性別の方向は、なんもない気がします。袋小路ってかんじで。そういう意味で、スピカの男性俳句っていう特集に期待しています、という感じです。
神野 どうもありがとうございました。会社の研修頑張ってね。お会計お願いしまーす。
BARのお姉さん(以下、BAR) みんな帰っちゃうのね(寂)
(入店したころにはにぎやかだったお店には、今は我々しかおらず)
神野 終電が近くなってきたからですかね。
BAR みんないい子に帰りますよね(笑)
神野 ここは何時までなんですか。
BAR うちは朝5時まで。
野口 ええ、そうなんだ。
BAR よかったらそれまでどうぞ(笑)
山口 僕は全然いいですよ(笑)
(…沈黙続く)
神野 返事無し(笑)
山口 ええええ!
(了)
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