2011年10月 第四回 あんな日があってこんな日ねむり草 池田澄子(野口る理推薦)

西丘伊吹×楢山惠都×神野紗希×野口る理

(メニューを見ながら)

神野   ねえねえ、ジンバックって何?

楢山   カクテルの世界は、奥深いですからねえ。

野口   そういえば、銀座に、俳句を一句言えば、そのイメージのカクテルを作ってくれるBARがあるって聞いたんですけど・・・

神野   ええー、何それ!

野口   なんとかムーン・・・

西丘   自分の句でもいいってこと?

野口   そうだと思います。そのBARのバーテンダーさんのひとりが、俳句に詳しいらしくて。

神野   行きたいね。

野口   すごい試みですよね。

西丘   俳句のカクテル・・・テンションあがりますね(笑)

あんな日があってこんな日ねむり草  池田澄子(野口る理推薦)
(句集『拝復』ふらんす堂、2011)

野口   先日出た、句集『拝復』から選びました。読んで字のごとくだと思うんですけど。かなしくも、嬉しくも、意味がとれますよね。昨日があって今日がある、経験が積み重なって今日がある、っていう考え方自体は慣用的だけど、「こんな日」っていう軽いテンションでいってるところ、無理がない。さっき、楢山さんが「卒業式犬連れてっていいですか」を挙げてたので思い出したんですけど、卒業式にうたう歌で、こういう内容ありましたよね。

神野   ありーがとーさよーならー、ともだちー♪って歌?

野口   そうかも。ねむり草のゆらゆらしてる感じ、触ると反応する・・・

西丘   ねむり草って、おじぎ草?

野口   そう。反応するけど反抗しない植物。全部受け入れてる感じが、内容と合っているなと。簡単そうに見えて、出来ない句です。『拝復』は、いい句集なので、ほかにも好きな句はたくさんあるんですけど、これは、特に澄子さんらしいかな。

神野   出来ない句?

野口   「ねむり草」のところが、ですかね・・・。そういう日がある、そういう気持ちになるっていう発想自体は、すでにあると思うんですよ。そこでたぶん、ふつうなら、感情をもうちょっと入れたくなると思うんです。嬉しさとか、かなしさとか。

神野   たとえば、鈴木真砂女の「今生のいまが倖せ衣被」のパターンと似てるけど、「衣被」とつけるのが真砂女さん、さっきのフレーズに「ねむり草」つけるのが澄子さん、かな。

野口   例えば、ひどい喧嘩もしたけど、乗り越えて今は幸せだね、っていう風にも読めるし、原発のおかげで豊かな暮らしだったけど、事故が起きて今こんな世の中だねっていう風にも読めるし。例があまりうまくいってないですが(笑)。読む側の体調によって、受け取り方が変わってくる俳句かなと思いました。

楢山   「あんな日」が嫌な日かもしれないし、逆に「こんな日」のほうが嫌な日かもしれないし。どうとでもとれるから、みんなに当てはまる。まさに、おじぎ草の感じ。

(店員さん、頼んだ飲み物を持ってきてくれる)

店員   コーラとオレンジサワーと、ジンバックです。

野口   ありがとうございまーす。

(神野、ジンバックを飲んでみる)

神野   ジンバックは、ジンジャーエール割りっぽいです。

野口   意外と甘かった。

神野   美味しいです。伊吹ちゃんはどうですか?

西丘   やっぱり、「ねむり草」が新鮮ですね。なでたら反応する順応性みたいに、この人も、もしかしたら傍目には大変なこととかあったのかもしれないけど、わりと淡々と、どんなことも受け入れて、順応して、しなやかに生きてきたのかなって感じがあります。「ねむり草」って言葉が置かれていることで、そんな風に感じられましたね。淡々としてる詠みぶりがいいな。

楢山   私は「あんな日」と「こんな日」の、どちらもいい日、ではなくて、どちらかが悪い日なんだろうな、って思います。淡々とした受け入れぶりが、そう思わせる。全部、続いてますよ、っていう。

神野   この人は、あの日なにがあったり、この日なにがあったりしたことで、未来に起きることが、少しずつ変わってくるってことを、信じてる人なのかな、って。世の中には決まった運命ってものがあって、どんな風に生きてもこうなる、っていう考え方もできるわけですけど。むしろ日々調整されていく感じ。

西丘   淡々と、心が無い感じで過ごしてるっていうよりは、ちょっとずつ違いを感じとっているんだろうな。

楢山   池田澄子さんは、「じゃんけんで負けて蛍に生まれたの」が、すごく衝撃的だったのを覚えています。以前の「よみあう」で、る理さんが「先生が死んでおられる冬麗 嫌だ」を挙げていて・・・・

野口   あ、ほんとだ!また澄子さんの挙げちゃった・・・!

楢山   あの句も、とても好きだと思って。「嫌だ」。

神野   表現しないことが、いちばん誠実だっていうベースがあるのかな。でも、表現せずにはいられない衝動との、交差点。

野口   伊吹ちゃんは、澄子さんの俳句はどうですか。

西丘   好きですね。単純に「好き」って言っちゃう感じで、好きです。やっぱり、ちょっと、飛びぬけてるなって。こういう書き方をする人の中でも、次元が違う。こういう言語感覚を持っている人が、今、同じ時代を生きてるってことが、嬉しい。

楢山   自分に対して厳しい感覚を持っている人で、そこが好きだなって思います。五七五に詠むってときの、口語の感じも、うまく言えないけど好きです。

神野   ある意味、独善ですよね。俳句の上では、澄子さん、全然寄りそう人じゃなくて、やさしい人でもない。逆説的にそれがやさしさに思えるってことはあるけれど。「じゃんけんで負けて」の句だって、じゃんけんで負けたからあなたは蛍なのねって、残酷。「ピーマン切って中を明るくしてあげた」も、ピーマンを切り刻んでるわけで。それを「明るくしてあげた」って、独善でわがままなんだけど、それこそ人間らしさという気がする。そこが好きですね。

西丘   澄子さんの俳句は、独善的でありながら、「あたしの感覚についてこれる?」っていう、もったいぶったところがないじゃないですか。それが、こころよいです。

楢山   やさしさは、必ずしもやさしさじゃないんだよ、っていう感じがいい。

(次週は、神野紗希の推薦句をよみあいます。)