春夕もの忘れゆくこと早し   岩田由美

忘れるときは、いつもいつの間にか、である。
いつの間にか、とはつまり、自分の認識できないスピードのうちに、と考えられる。
だんだん忘れるというのも、ひとつずつ忘れているという訳で、
そのひとつずつは、いつの間にか、忘れているのだ。
一方、思い出すことのスピードは、自分の認識できるうちにある。
そして思い出す前提として、程度の差はあれど、忘れていることが重要になる。
忘れることと思い出すことは、ほとんど一対であり、
なにかを忘れゆくことを思うとき、もうそのなにかを思い出しつつあるのだ。
記憶と向きあう作業を行う豊かな時間として、春夕はぴったりだと思う。
「思ひ出すとは 忘るるか 思ひ出さずや 忘れねば」(閑吟集)

「大きな日陰」(『ふらんす堂通信128』ふらんす堂、2011.4)より。

この号には、俳人インタビューとしてのふたりが紹介されている。「新しい俳句を作っていると思う俳人を教えてください」という質問に、ふたりともが「神野紗希」をあげているのが興味深い。(『傘 vol.2』(傘、2011.4)でもその名は散見される)

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