「薺粥」のぼうっとした緑と白の色合いに心穏やかな気持ちになる。
「煮え立ちて」とすることによってやわらかな湯気のあたたかさにも包まれてしまうようだ。
決して美味しいものではない、というところも「薺粥」ならでは。
美味しいから食べたい、という欲求よりも少し奥にある、健康でありたい、という欲求に、
平安時代から続くこの人日に薺粥(七草粥)を食べるという風習を思い、
「はるけき」思いになったりするのかもしれない。
山西雅子編『花の一句』(ふらんす堂、2011)より。
「薺粥」のぼうっとした緑と白の色合いに心穏やかな気持ちになる。
「煮え立ちて」とすることによってやわらかな湯気のあたたかさにも包まれてしまうようだ。
決して美味しいものではない、というところも「薺粥」ならでは。
美味しいから食べたい、という欲求よりも少し奥にある、健康でありたい、という欲求に、
平安時代から続くこの人日に薺粥(七草粥)を食べるという風習を思い、
「はるけき」思いになったりするのかもしれない。
山西雅子編『花の一句』(ふらんす堂、2011)より。