雪を割る方角はまちがつてゐない   伊東達夫

他人の信じているものを理解できないときに、我々は少し恐怖を感じることがある。
その信じる気持ちが強ければ強いほど、自分の心との温度差に立ち尽くしてしまう。
「雪を割る方角」は正しいのだ、それならば何が間違っているのだろう、と、
いろいろ試行錯誤しつつ、ひたすらに雪を割っているひと。
そもそも「雪を割る」という行為の意義も、その行為において正しい「方角」も分からない。
読者は、ただ一生懸命正しさに向かっていることのエネルギーを見つめるしかないのだ。

「回遊」(『21世紀俳句ガイダンス』現代俳句協会、1997)より。