予告編のやうに川面を春の雲   今井聖

「予告編」と言えば映画の予告を思うだろう。
映画の面白いシーンをぎゅっとまとめ、予告編単体として人の気持ちを動かし、
しかしそれでいてまだ本編に期待させる演出がなされているものが、良い。
では、この句において本編とはなにか。
これから降るかもしれない雨やこれから到来する夏のこと、はたまた地震雲からの地震などではなく、
川面に映った雲が予告編で、空の雲が本編である、と読みたい。
面白いシーン(雲)をぎゅっとまとめ(川に映し)、予告編単体(川に映った雲)として人の心を動かし、
しかしそれでいてまだ本編(空の雲)に期待させる演出がなされている(一句に落とし込まれている)。
いわゆる虚である川面の雲を予告とし、実である空の雲を本編としているが、
ここで実とされている空の雲も、実っぽくなくふわふわと曖昧であるところが、不安定で不思議だ。
そういう気分が春にあっているし、雲以外にも岸辺の木や草花や虫や鳥も川面に映る、春である。

『俳句 5月号』(角川学芸出版、2011)より。

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