この句はもちろん「花見」が春の季語だけれども、
この「花見」は季語としての実際の花見というものを離れた概念的な言葉のようだ。
いつの季節であっても、あっという間に偽物の花が用意されてしまうような、
つまり、本物の花であろうと偽物の花であろうと、本質が崩れないような雰囲気がある。
教説的で、うまいこと言った感のある分かりやすい句なのだけれど、
「上の」がなんとも巧みで、「世の「中」」というものの立体感を感じさせる。
黒田杏子著『布の歳時記』(白水社、2009)より。
この句はもちろん「花見」が春の季語だけれども、
この「花見」は季語としての実際の花見というものを離れた概念的な言葉のようだ。
いつの季節であっても、あっという間に偽物の花が用意されてしまうような、
つまり、本物の花であろうと偽物の花であろうと、本質が崩れないような雰囲気がある。
教説的で、うまいこと言った感のある分かりやすい句なのだけれど、
「上の」がなんとも巧みで、「世の「中」」というものの立体感を感じさせる。
黒田杏子著『布の歳時記』(白水社、2009)より。