寂しいと言い私を蔦にせよ 神野紗希

 先日、梁塵秘抄に関する本を読んでいたら、次の今様が引用されていた。

 美女(びんぢよう)うち見れば 一本(ひともと)葛(かづら)にもなりなばやと思ふ 本(もと)より末まで縒らればや 切るとも刻むとも 離れがたきはわが宿世(すくせ)

 また、能の「定家」では、死後に葛となって式子内親王の墓に纏いつく藤原定家の妄執が描かれている。

 主人公が男性か女性かの別はあるが、恋慕の情の表現として纏いつく蔓性植物のイメージが利用されているという点では、掲出句は今様や能と共通するものがある。言わば、古来の愛の表現の型を受け継いでいるというわけだ。(意識的な〝本歌取り〟なのかどうかは、作者には確認していないが)

 ただし、掲出句で印象的なのは、まず相手に「寂しい」と言ってみよと呼びかけている点。今様や「定家」の男性主人公は相手の気持ちを考慮していないが、掲出句ではまず相手に呼びかける。この点はいかにも女性らしい。その上で相手の寂しさに寄り添い、その寂しさを包みこもうとする。これは単なる恋慕の情を超えた、庇護すべきものを前にしての母性愛の発露とでも言えようか。

今様のどこか浮かれた感じ、詞章の引用は割愛したが「定家」の纏綿とした陰鬱さ、掲出句の俳句という短い詩型ゆえのストレートな強さ、比較すると三者三様の味わいがあって興味深い。