梅雨の窓開ければ幹の途中なり  加藤かな文

ふらんす堂の句集「家」(2009年)より引いた。

 

雨の日に窓を開けることは少ない。そこは、ペンションかどこか、普段住んでいないところの窓なのだろう。初めてか久々か、おとずれたその部屋の空気が、梅雨のせいで悪くなっているため、入れ替えようと窓を開ける。開けたところで、空気がそう一気に変わるわけではないのだが、そこには縦に続く木があったのだ。幹の途中ということで、まだ成長するのではないかという希望がみえる。

 

 枝や葉が茂っているところなら、来る鳥を窓から観察できるものの、そこにあるのは幹のみだ。少し脱力しながら、梅雨の静けさと、徐々に室内に入る雨と緑の匂いに安心しながら、作者は椅子に腰をかけ、高みへ続く幹の先を想像するのだろう。

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