枝豆のふくらみほどの予感あり  大槻和木

枝豆のさやには、中に入っている実のなりに、うっすらとふくらみがある。そのふくらみは「ここに実があるのだな」と思わせる程度のささやかなもの。そのふくらみほどの予感だから、世界が終るとかプロポーズとかいった大きな出来事の予感ではなく、何かもう少しささやかなことを思わせる。
枝豆は比喩としてだけではなく、シチュエーションを描く小道具としても役に立っている。枝豆のある景色…居酒屋で枝豆をつまみながら飲んでいるのか、家で晩酌しているのかもしれない、自分で茹でているところを想像してもいい。枝豆を食べながら、なんとなくこれからのことに思いを馳せているのだ。枝豆のさやをぐっと押してから豆がピュッと飛び出してくるまでのあのタイムラグが、予感がしてからそれが的中するまでの溜めの時間を思わせもする。

第一句集『消印』(ふらんす堂、2012年1月)より。