あれほどに待ちたる春の来てをるに  山田露結

事情が変わったのだろう。春を待っていたころは順調にいっていたことが、いざ春が来てみれば、そこまではかばかしく思えなくなっている。いや、特に何があったわけでもないのかもしれない。春は、待つものであり、来てしまえば愁うものなのだ、きっと。季語「春愁」を十七音使って分解するとこういうことだろう。もってまわった言い方が、この句の場合はつらつらと物思いにふける憂鬱をそのまま体現していて成功している。

第一句集『ホームスウィートホーム』(邑書林・2012年12月)より。見立てや思わせぶりな句というのは一見派手だが、私は以下のような直裁な句に強く惹かれた。

初蝶が蛹の中に詰めてある
閂に蝶の湿りのありにけり
ながながと木綿一反山笑ふ
春光や鷗の中をゆくかもめ
春なれや波の音する洗濯機
反故にして反故にしてみな牡丹に似
水底に雨やり過ごす金魚かな
噴水が人の代はりに立つてゐる
冷蔵庫裏に樹海のあるごとし
いつになく酔ひたる喪主のはだか踊り
秋刀魚焼く今日の日のはや懐かしき
縄跳の縄落ちてゐる跳ぶべきか
夢は枯野を少年少女合唱団