黄昏はなにかをだいてゐたいこころ   富澤赤黄男

ひらがなが柔らかい、抽象的かつセンチメンタルな句だ。
「黄昏」も「なにか」も「だいてゐたい」も「こころ」も実体がない。
なにかを抱いているのではなく、「ゐたい」のだ、そういう心なのだ、と、
つまりはなにも抱いていない。
持てあます空虚な両腕と心を、黄昏に包み込まれ、
黄昏もまた、何かを抱いていたい心を持っていたのか、と気づく。

「魚の骨」抄(『現代俳句の世界 16 富澤赤黄男・高屋窓秋・渡邊白泉集』朝日新聞社、1985)より。

2月7日、勉強会します。
第144回現代俳句協会青年部勉強会 「読み直す新興俳句 何が新しかったのか ⑤富澤赤黄男」