(「現代俳句 7月号」現代俳句社、1947)
この頃よく結婚式や同窓会の誘いを頂きますが、まぁまず行きません、昔の友達は思い出だけで十分だと思うのと、28にもなって茶髪でフラフラしている姿を見られるのが嫌だと言うのが主な原因です、そんな僕にもふっと寂しい日もあるのさ。
と、元気を出そうと読み返した、今回のコシトキリンは、男の友情が眩しい座談会を取りあげます。
『現代俳句』昭和22年、7月号に載っているこの座談会『俳句放談』はメンバー、西東三鬼、石田波郷、東京三(秋元不死男)と言う楽しそうな面子で好き勝手な事を言い合っていて、座談会の中身より、その友情が見ていて微笑ましい。
石田 大体有季俳句とか無季俳句とか、超季感とか、そういう言葉がおかしいと思います。季語があるとかないとかいうことで伝統俳句、新興俳句の区別があるんじゃないですからね。
さすが三鬼と大の仲良しだけあって、波郷の俳句を読む幅はとっても広い。波郷の俳句だけしか読んでないとすると意外な言葉として聞こえるのではないでしょうか?
いままで通りの限界された俳句的内容だけを歌って済ますか、本当に現代に生きている人間のいいたいことを全部俳句でいうか、根本はその差ですよ、
一方新興俳句が季語を捨てる自分のいいたいことをそんなものに牛耳られてはいえない。だから季語を捨てる、その代りに季語と同様の連想力をもつているものを新しく発見しようというのじや、有季俳句も無季俳句も同じじやないですか。
おぉ~、波郷熱い!波郷の言葉と思えばなお興味深いです、波郷は波郷で、新しい俳句とは、と言う問に真剣に考えていたのでしょう。
大切なのは季語の有無ではない、というのは頷けます。
『俳人』というテーマで東京三の俳句自粛休業宣言について話が移っていきます。
石田 じや、俳句の素人と玄人というのはどういう差でいうのだろう。
西東 俳句に対する精神の強弱だ。京三の休業説は俺が許さん絶対に許さん。京三が百万遍いえば俺は二百万遍反対するから、いくらいつても同じだ、はつきりしているよ。
石田 廃せるなら廃してみろ、というんだ
うぉ~、熱い!こんな友達が欲しい、三人ともなんとも魅力的。これぞ男の友情
こんなチャーミングな話も
石田 それは解るね。例えば岩波の芭蕉俳句集をもつていて、それを電車の中でみているところを人が覗きこんでも平気なんだが、例えば三鬼なんかの句でもみているところを若い女なんかに見られると、引込め・・・は、しないが何となく照れくさい気がするね。
三鬼の方が随分歳上なんですが、二人は仲の良さが見えますね、こんな冗談が言えるのだから。作る俳句の方向は違えどもお互い認めていたんでしょうね。
今回久し振りにこの座談会を読み返してみたら、うん、友達が欲しくなりました・・・。
じゃ、俳句読んで寝ようっと(これじゃ無理だなぁ)。