昭和32.8.10 岩波書店刊行
『露伴全集』第三十二巻 より。
久しぶりに歌舞伎座に行きました。吉右衛門の籠釣瓶が観たくて。普段お金が無いのに、お金が欲しいとは不思議と思わないんですが(だから僕はいつまでも働きが悪い)、歌舞伎を観る時には、あぁー、金が欲しい、とってもとってもお金が欲しいと下品にも思ってしまいます。
落語は3~4千円で観れますが、歌舞伎はそうはいかない、よく観える席で観ると2万円近くかかります。
貧乏ですから一番安い席でとなると、4千円ぐらい、これがね、これが、全然見えない。いや、見えるには見えるけど、顔の表情や細かいところは全然見えません。
落語は3千円出せば、よーく見えます。
少しでも、少しでも吉右衛門を近くで観たい、あぁ吉右衛門。
皆お金があっていいなぁと思うのは、酒が切れた時よりも、歌舞伎座と古書店に行った時です。
とか書いてると、露伴先生から下品だ野暮だと叱られそうだなぁ…。
さ、今日も露伴の俳句を読んでいきます。
飛ぶ蝶に我が俳諧の重たさよ
軽さと重さと。照れずに詠む。
灌仏の姿に似たる男かな
幼き日に観た、石川五右衛門のからくりのことらしいです。乾物ではないよ。
静座して惣身の疵や蚤のあと
痒いは死にはしないけど、死にはしないだけに辛い。
なさけなや扇持ちつつ読経とは
ちょっと長いけど大事な前書なので、載せておきます。「凡そ我に來りて其父母妻子兄弟姉妹また己の生命をも憎むものにあらざれば我弟子となることを得ず」とあります。覚悟が大切ということですね。上五の「なさけなや」のなさけなさがへなへなと良い。
空高く山やや青しほととぎす
気分上々。
眼に汗のしみて涙のあつさかな
労働のリアル。労働とは好きとかな嫌いと、そういうことではない。
大江戸や雷(らい)の音より銭の音
鐘ひとつ売れぬ日はなし。
持たぬ人の銭を憎むや年の暮
あるとこにはあり、ないとこには絶対ないもの。
星一ツ飛ぶや夜寒の鍛冶の音
神を宿しつつ。
初ゆめや富士で獏狩したりけり
前書に「幸堂得知 初ゆめや獏が骨まで喰ふたり 我之に答へて」とある。幸堂得知さんの句も面白く、二人の遊び心が楽しい。富士を持ってきたところがすごい。
横にして富士を手に持つ扇かな
前書に「狂言末廣がりの圖に題す」とある。末広がりは傘のことですね、詳しくは調べて下さい。上五にゆとりを感じる。せかせかしていない俳句は気分が落ち着く、たまにはこういうのも。
まだまだ続きそうですが、今日はこんなもんで。
じゃ
ばーい