昭和57.9.15角川書店刊行 「杉田久女読本」より。
少人数の句会は楽しいけれど、数人休むと句会の危機です。大人なので色々あって、仕事や家庭、もしくは体調不良などなど欠席することももちろんあります。今月は不運なことに欠席のメールが重なってしまい、これはやばい、句会にならない(三人以下)かもしれない、と焦り始めました。
動揺した僕は、助けてくれい、と仕事中にせっせと若ちゃんにメールをしました。「夕方句会に助っ人で来てくれないか?」と34にもなって人様に当日来てくれとメールするのも非常識なのですが、句会の危機でしたから、頼む!とメールを送ると、なんと若ちゃん、いや若様から「行きます」との返信が。
当日若ちゃんから、「今、八王子に住んでるんですよ」と。え?そうなの?どっか近辺(句会は神保町)だと思ってた、いや、ほんとごめん、と。
ごめんね、ありがとう。句会後は最近お気に入りの店「謝謝」へ。あの店のニラ玉は美味い。
では久しぶりに久女の続きを。
卒業やちび靴はくも今日限り
ちび靴可愛い、と微笑んでいる久女のイメージももっと広がって良いんじゃないかなと。句集をちゃんと読むと、天才狂女ってのは、どうも違うなと。ちゃんとあたたかな人でもあったと思います。
炊き上げてうすき緑や嫁菜飯
うまくいった嫁菜飯。
ミシン踏む足のかろさよ衣更
どんどん出来る、なんでも出来る。
蛙きく人顔くらく佇めり
蛙はきくもの。五年ほど住んでいた鶴川はそんなところだったなと。この句は「くらく」がリアル。
ころぶして語るも久し走馬燈
久女久し。
板の如き帯にさされぬ秋扇
凛。
月涼しいそしみ啜る蜘蛛の糸
好きな句。「いそしみ啜る」が非凡過ぎる。
唐黍を焼く子の喧嘩きくもいや
いやでありんす。
首に捲く銀狐は愛し手を垂るる
似合うだろうなと。僕は頭のついた毛皮系のものは(フォックスファーとか)なんだか可哀想で触ることも出来ないのだけど。ごん、おまえだったのか、とか思うとちょっと…。
谺して山ほととぎすほしいまま
歓喜がほとばしる感じが良い。僕だと北鎌倉あたりでこんな感じに思うけど、久女のこの句は英彦山(福岡大分の県境)。
南国の五月はたのし花朱欒
夏空のようで、またちょっと違う五月の空。僕は南国だと土佐だけど、久女の句は幼児期を過ごした鹿児島のこと。
じゃ
ばーい