『中也断唱』を読んでみた 後編

中也の詩集を読み返したりするとなんだか懐かしい気持ちになります、今の方がなんだかシミルなぁ、学生の頃と違って社会に出るともうちょい痛い目に合いますからね…。

社会人になった最初の五月は、老いた会長が自分の思い通りにならなくイライラして、僕らの教育係の上司を新卒百人の前でグーで何度も殴ったのを見ました。あぁ避けないんだな、避けてはいけないんだな、こういうのが社会なんだな、と思ったんだっけな…。
一年後机にドラえもんの絵を描いて「ぱかぱぱ~ん、もう何も出な~い」と書き残したまま会社を辞めたんだなぁ、あぁ懐かしい、田んぼにパンフレットとか投げ捨てたなぁ。あぁ若かったなとトイレに行くと、あれ?僕こんなんだっけ?と鏡を見て考える、こんなんだけどまぁいいじゃないか、ラアラア唱って生きていこう、そんじゃ読むよー

さなり十年、そして十年ゆやゆよん咽喉(のみど)のほかに鳴るものの無き

やるせないのさゆやゆよん

失ったものはかえって来ぬからにラアラア唱ってゆくのだ俺は

やるせないのさラアラアラア、俳句で言うと重信のああこりやこりやかな。

煙草ばかり喫っていたから青空もおれも曇って俯いておる

チャラチャラした人は嫌いだけど、ぷはぁー、ふぁーあ、と濁った目付きのヤンキーはなんだか愛すべきもののような気がする。いや、逃げるよ、からまれたら。

懸命に生きてきたのだ明方の鶏鳴よりも声をふるわせ

懸命って言葉は美しいというよりもむしろ悲しい、細くて粗い縄をぎゅっぎゅと掴むように悲しくて痛い。

花は紅(くれない)おれは誰言う半端者などはあたりき詩を選ぶゆえ

損得どうの、好き嫌いとか、詩を選ぶというのはきっとそういうのじゃない

飛ぶ鳥も遠くの空へむかうゆえ一生一緒に居て下さいな

いやーこれぐらい言えたらね、いやいや言わんけどさ

なんで今宵もだらだらだらだら降る雨に付き合っている口笛を吹き

学生の頃を思い出してしまった、馬鹿ででカッコ悪くて、ずるずるだらだら…、あぁそういうのがね、楽しいんです、まぁ戻りたくはないけど。

いつの頃からピエロがひとり棲みついておれの手真似をするのであった

終電の小田急に揺られながら窓に映る自分の姿をみるとこんな感じがします

坊や坊や やがて別れてゆくからかに夢の中でも抱き締めてやる

おぉ中也中也…、悲しくて優しいなぁ中也は。

だらだらとだらだらと降る 軒に吊るゴムの合羽の黒い悲しみ

悲しい時は、案外悲しいなぁーとは思いません。ただただ、雨が落ちるのをぼけーっと見たりするもんです、合羽が、雨が、悲しい。

喇叭飲みしつつ歩けばびしょびしょに濡れてワイシャツ滴を散らす

中也のみっともないはとっても清らか、どれぐらいかと言えば三ツ矢サイダーぐらい、スマートよりもみっともないぐらいが人間らしくて良い。

たまには今さらと言わずに、大昔に読んだ詩集を読んでみるのも良いんじゃないですか、勉強になるとかそんなんじゃなくて、こう、シュワーッとね…

さ、明日も仕事だ、寝よう寝よう、そんじゃ、ばーい