石川美南『砂の降る教室』
2003.11.28風媒社発行
ここのところ、あまり短歌を読まなくなりました。歌人が悪いんじゃなくて、読まないから知らないわけです、どんな人が面白いかわからないわけです。でも何でも読む時間はないので…、そうすると読まなくなります。
俳句も短歌、または歌舞伎や寄席も、好きな贔屓の作家(役者や演者)が居れば居るだけのめり込む事ができます。とにかく吉右衛門が出てたら嬉しいとか、岸本さんが載ってたら俳句雑誌買おうかとか、そういうのが大事です。
というわけで、石川美南さんの第一歌集『砂に降る教室』を読んでいきます。
紀伊国屋の短歌フェアで買いました。実は昔に何回も立ち読みしてたけど、今回改めて読んでみたら、うん、やっぱり面白かったですね。
はい、じゃあ読み進めますよー
とつておきの死体隠してあるやうなサークル棟の暗き階段
有名な歌ですよね、昔から好きな歌です。死体はわくわく隠さないと詩にならない。石川さんは「楽しい悪意」みたいな感覚が天才的な人です。
今日までにくぐり抜けたるトンネルの数競ひ合ひ僅差で負けぬ
くはー、負けた。この「くはー感」がなんだか出ている。
満員の山手線に揺られつつ次の偽名を考へてをり
僕がよく使う偽名は「お雑煮餅太郎」です、バラしちゃ意味ないけど…
おまへなんか最低だつて泣きながら言はれてみたし(我も泣きたし)
僕はめんどくさい人が好きです、曇りの無い人(なんていないけど)というのが苦手。石川さんもそうなんじゃないかな、そうだと嬉しい。
歌つてゐるとまた雨になる 欲しいのは世界を食べてしまふ箱庭
麒麟「歌つてゐるとまた雨になる」
A子「え?なになに?」
麒麟「欲しいのは世界を食べてしまふ箱庭」
A子「無駄遣いしちゃだめよ、うどんできたよ」
麒麟「うまうま…」
↑
つまりこの歌のフレーズがすごくカッコいいと、好きだと言いたい
書き終へたるふみ大空へ放ちつつ桜桃せよ桜桃せよ今宵
太宰「壇くん、ぼくだよ、桜桃せよ桜桃せよ」
↑
イメージ
ステップを踏み間違へて私だけ魔術を解いてしまふ寂しさ
あらん、もしくはドロン
実朝が軽き頭痛を訴へてだらだらと寝てゐるやうな海
私の前の伊豆の海は
だらだらとだらだらとサボってゐるのでありました(中也的)
お祖父ちやんの白い碁石を口中に含んでふいに恐ろしくなる
ごくん!
おまへんちの電話いつでもばあちやんが出るな蛙の声みたいだな
ふかわ「おまえんちのばあちゃん、蛙みたいだな」
↑
イメージ、今の若い子は知らんかな…
草とばかりしやべつてゐると授業中突然笑ひだしたりもする
僕よく虚子の墓に話しかけます、年々声に出して話かけるようになりました。虚子の墓に愚痴ると心が軽くなります。
ピストルを手にするときのときめきを顔に出したらだめよ、先生
マグナム黒岩先生
ぎらぎらの暴走族の一団が花火見んとて並んで座る
暴走族「別に花火なんか好きじゃないし、ガソリン切れて走れないだけだし」
「毒きのこ、しかも猛毒」いそいそと茸ノートに書き入れてゐる
ぴりっとしたやつ
「大丈夫明日になれば赤や白の金魚はみんな死んでしまふよ」
傷ついてしまうよ、今年30だけど、それは嫌よ
街中の鍋から蓋がなくなりて飛び出してくる蛇・うさぎ・象
これはかなり楽しい歌、一年に一回ぐらいこれぐらいの事があってもいい。
どうです?面白いでしょ?←僕が作った歌じゃないけどなんか嬉しくなる。
短歌に全く興味無い人も、とにかく今日から石川美南さんが出てたら雑誌を立ち読みしてみる、というのも良いかもしれません。
そのうち歌人では今だれが好き?と聞かれたら、「石川さんは好き」と答える日が来ると思いますよ。僕はそうだもの。
そんじゃまた
ばーい