「文芸春秋」最新号(2011年8月号)に、髙柳克弘氏の紀行文「崩れし奥の細道をゆく」が掲載されている。
被災した「不朽の古典」の舞台、すなわち芭蕉の「奥の細道」の道程をたどった俳文だ。
震災という圧倒的な現実を前に、言葉はどうあればいいのか。
そんな問いを胸に、仙台・名取、多賀城、塩竃、平泉をめぐっている。
芭蕉と向き合う道程の中で、彼は、どんな答えを見つけるのだろうか。
―タクシーの車窓に、コンビニエンスストアの「ミニストップ」が映った。中は客で賑わい、彼らをレジ係の女性が捌いている。客の大多数が作業着を着た工事関係者である以外は、日常生活の中で見かける普通のコンビニと、少しの違いもない。
「ミニストップ」という言葉の響きが、これほど甘美に感じられたことはなかった。直訳すると「小休止」となるだろうか。車中から見たほんの数秒ほどだったが、想像以上の凄まじい現実に打ちのめされた私の心にとっては、それはまぎれもないミニストップ(小休止)だった。そこには、生きている人間の、確かな生活空間があった。荒廃したモノクロの風景の中にひときわ目立つ、看板の黄色と青の色彩が、神々しさすら帯びているように見えた。
コンビニの扉瓦礫の石を嚙む 克弘
(「崩れし奥の細道をゆく」)
高柳氏から、現地で撮ってきた写真を、いくつか受け取った。
旅は六月中旬だったという。まだ、復興には程遠い現実を、この写真から思い知らされた。