「マフラー」or「デート」

「元日の夜はぷちぷちケータイ俳句」の投句締切、あさって28日です。

元日の夜はぷちぷちケータイ俳句

現在、HPで投句を募集しています。
テーマは、マフラー or デート。
つまり、冬の季語、マフラーを詠みこんだ俳句か、デートにまつわることを詠んだ俳句。
幸せなデート、かなしいデート、かつてのデート、年齢ならではのデート、デートめんどい、そもそもデートに行けない鬱憤などなど、どんな切り口でも。もちろん、妄想デートも大歓迎。

携帯電話やパソコンから、投句できます。
句数の制限はありませんので、できた先からどんどん、どうぞ。

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天気さんちの、ピーちゃん。
なんとかわいいのでしょう。
元気な子で、すたすた、とたとたと、よく動きまわります。
先日、天気さん宅にお邪魔して、来年1・2月の「よみあう」座談会をとらせていただきました。西原天気さん・上田信治さん×スピカ三人です。現在、目下おこし作業ちゅうです。

それから、『俳コレ』の出版記念の竟宴にも参加してきました(参加録)。
わたしも、第一部で、文香と、俳句甲子園の話や、現在の若手の話などをしました。
宇野常寛さんの社会批評の本『ゼロ年代の想像力』では、九十年代が「引きこもりの時代」、ゼロ年代が「決断主義の時代」と位置付けられて、ゼロ年代はバトルロワイヤルの時代だったというふうに振り返っています。同じ時代に、俳句シーンでも、俳句甲子園というまさにTheバトルロワイヤル的イベントが行われ、そこから上がってきた若い人たちが目立つようになってきた、というのは、妙に時代と対応しているようで、面白いことでした。

自分としては、俳句甲子園という出自だけがわたしを形成したわけではないので、俳句甲子園出身というだけで判断されることには複雑な思いもあるのですが、あの場で俳句を始めたことによる影響は、考えてみれば、たしかに大きいのです。

振り返ってみて、あそこがふつうの俳句の句会や結社と違う場所だったなあ、と思うのは、俳句甲子園のディベートの場では、発表された句が、チーム五人の誰の作品か、あかされないままなんですよね。あれは、よくよく考えてみれば、不思議なことで。わたしが俳句を作る(作者である)、ということと、これはわたしの俳句ではない(作品は発表された時点で作者の手をはなれる)、ということの両面を、かなり早い時期に、身体的にたたきこまれたように思います。

てな話など、いろいろしてきました。打ち合わせからみっちりやらせてもらって、文香、どうもありがとう♪

そして、もうひとつ。
スピカ宛に、クリスマスプレゼントとして、詩人の杉本徹さんが、なんと、一編の詩をくださいました。

杉本徹  霙のち鈴

しなやかな透明体の詩、携帯電話の画面から読むかたのために、テキストも載せてありますが、ぜひ、画像をクリックして、縦書きの詩を読んでください。鈴の音がどこまでも聞こえてゆくような、そんな読後感のなかに、いま、わたしもいます。

僭越ながら三人も、詩をうけて、一句ずつ。スクロールしていけば、下に掲載しています。

その杉本徹さんが参加されている詩誌「それじゃ水晶狂いだ!」(2011年12月)が刊行されました。参加しているのは、伊藤浩子、海埜今日子、榎本櫻湖、小笠原鳥類、杉本徹、野村喜和夫、広瀬大志、望月遊馬(発行は榎本櫻湖・敬称略)。

各人が書きたいことを書く、というスタンスが快く、詩の言葉たちものびのびしているように感じられます。なかでも気に入ったのが鳥類さんの作品、というのは、やはり動物好きというところが関係しているのでしょうか。数ページにわたる散文詩の、最後の一節を以下に。

パンダを見ながら演奏をしたので、グルグルと丸いいつまでもアンモナイトであるような曲になったが、ベートーヴェンであったのだと思った。「ワニが出てくる事件だったね、ワトスン」と、グルグル踊りながら(ワルツ)(ロンド)ホームズが布をグルグル回転させて言いました。それはレコードだった「しかしこの事件について、君が(セミ)記録することがあるだろう」「ああ、乾いた昆虫の背中に、ナマコ色のペンで書くんだろうね」アンモナイトは、本である

(小笠原鳥類「オーケストラ消滅と爬虫類に関わる事件」)