俳句とヒップホップと

ネットの記事で見つけたんですけど http://sodamasahito.com/column/0406-taidan

R-指定  創作をする人は、内側からこんこんと内容が湧き出てくると思われがちですけど、そんなことはないんでしょうね。生み出すことの不安を感じながら、みんなやっているんでしょう。自分の考えをかたちにすること、表に出すことは孤独で不安な作業なので、ジャンルが変わっても、つくり手同士は共感できる部分が多いんじゃないですか。

共感しました。そして、そういう作家のほうが信じられるなぁと。

あ、このR-指定さんは、すごくかっこよくて面白いラップをする人です。
ヒップホップって私が中学生の頃に周りでものすごく流行っていて、
だからこそ田舎の思い出とともに古いダサいイメージになっちゃってたんですけど、
フリースタイルダンジョン高校生RAP選手権などから、にわかながらマイブームです。
家でも会話の中で韻踏んだりリリックサンプリングしたりしてるんですけど、
最近、息子(1歳)が「ヴァーーーー」と低い声で参戦してくるので、やばいなと思っています。

俳人でもハマってる人多いですよね。
ライブはもちろんフリースタイルダンジョン観覧にも行ってる男子がいたり、
俳句の勉強会にライブTシャツ着てくる女子もいたり。
ヒップホップと俳句の親和性って一部界隈で時々言われますが、
SST presents hike in three sounds ~俳句をうたう、かたる、となえる~
みんなそりゃあハマりますよねぇ。バトルする側も審査する側も勉強にもなるはず。

詩人の佐藤雄一さんが数年前に『現代詩手帖』で
「絶対的にHIPHOPであらねばならない」という連載してたなと思って検索したら、

日本語で韻文といったときに、ヒップホップもふくめて書いている人の九九パーセントは俳句か短歌です。定型がものすごくつよい。だから日本人は五七調がDNAに刻み込まれているかのようであり、したがって脚韻が踏めないという宿命論になってくる。日本語にはアクセントの強弱がなく平坦なので、日本のラップはこっ恥ずかしいものだし、日本語に根づく定型詩は五七しかない、という通念があるわけです。ただ日本のヒップホップはそのなかで新しい強弱、脚韻のフロウをつくっていった

というのが出てきました。http://news.aol.jp/2013/10/06/gendaishi/
ふむふむ!と思いつつ、この文脈でいくと俳句ってこっ恥ずかしいのでは?!
いや恥ずかしいんですけどね!!むしろかっこよくなれる余地だらけってことですよね!!

まぁ、ちょっとジェンダーのこととか気になっちゃったりするんですけど、
より多くの人にとって、語彙があること、頭の回転が速いこと、センスがあることとかが、
ちゃんとかっこいいこととして価値になっていくのは、とても嬉しく素晴らしいことだなあ。

そして、ちゃんと不安でいられること、孤独でいられることを大切にしたいです。

今年も4分の1が過ぎました。
この桜もほとんど散って、新しい季節を迎えはじめています。

takokouen