2012年4・5月 第六回 加湿器のごとくに諭しくれたるよ 杉山久子(神野紗希推薦)

杉本徹×関悦史×神野紗希×野口る理

神野  角川『俳句』2012年3月号から選ぼうと思って持ってきました。どっちにしようかな…。

 関  ああ、杉山久子さん。結社の人が、第二回芝不器男俳句新人賞をとったから、いかにも手堅い地力のある人なのだろうと思ったら、第二回田中裕明賞の座談会で「技術的に甘い」と厳しく言われていたのが意外でした。

神野  そうですね。わたしは候補作だった『鳥と歩く』(ふらんす堂)は、「技術的に甘い」という感じはしなかったんですけどね。好きな句集でした。感覚をすごく大切にしている作家だと思います。だけど、一見、巧い俳句を目指しているように見えるのかもしれない。

 関  従来の価値体系の中でやっているように見えながらだらしないところがある、そのだらしなさが力につながってるんだっていうアンビバレントな評価でしたね。

神野  そうそう。だから、そのだらしなさというか、おおらかさ、幅の広さみたいなところが、杉山さんの魅力だと思うんですけどね。似たような句を作る女性俳人たちの中で、あたまひとつ抜けてる個性がある。それは、杉山さんの中に、どこか従来の俳句らしさに染まらない部分があるからだと思います。

 関  女性俳句の中でも、着崩して、あぐらかいて「どうよ」って感じがあって、その迫力がどこかに感じられるから、ということなのでしょうね。

加湿器のごとくに諭しくれたるよ  杉山久子
「命名」(『俳句 3月号』角川学芸出版、2012)

神野  『俳句』2012年3月号の作品12句「命名」から選びました。末尾の句です。一句目の「帰郷して冬の蕨のごとくゐる」と迷いました。どちらも比喩の句です。「冬の蕨のごとくゐる」っていう比喩は新鮮でしたね。帰郷したときの所在のなさとか、ふるさとの風景に立ったときの、なんとなく風に吹かれやすい感じが「冬の蕨」によって引き出されてる。

 関  「命名」というタイトルは、表題になった句があるんですか。

神野  「命名の半紙さゆらぐ雪あかり」ですね。

 関  ははあ…この句はそんなに力のある句ではないですね。

杉本  僕も杉山さんの句は基本的に「いいなあ」と思っていて、一回「ふらんす堂通信」の連載にも取り上げましたが…

神野  『鳥と歩く』について書かれてましたね。

杉本  そうそう。

 関  俳句としては、加湿器のほうが面白い。

野口  紗希さんぽいよね(笑)。

神野  あ、そう?(笑)私は、杉山さんって、大木あまりさんの作り方に近いイメージだった。比喩の名手っていうところも似てるかな。杉山さんの句とどちらを取り上げようか迷ったのが、同じ『俳句』3月号に掲載されてる、大木あまりさんの句でした。

蝶のごと生くるは難し火を使ふ   大木あまり

 関  ふーむ。

神野  この句、蝶のように生きるのは難しい、という発想にも惹かれますが、そこまで突飛な発想ではないですよね。蝶にあこがれる、というのは詩の伝統的な精神ですから。ふわふわと、あてどなく、かろやかに生きたい。その蝶に憧れる気持ちをただ述べるだけじゃなくって「火を使ふ」っていう現実を対応させたことで、人間の身体がすごく感じられてくるところがすごい。

野口  うんうん。私もよむ(蝶のごと生くるは難し火を使ふ)で取り上げました。

神野  火を使って煮炊きをしている。はっきり「食べる」と俗なものを見せるのではなく「火を使ふ」という詩的な表現を使いながら、その先に、生きているという俗を立ち上げるところがすごいですね。それに、結果的にあらわれる「蝶は火を使わない」という真理は新鮮だと思う。

杉本  まさに、そのような見事な読みが可能になる句だってところが、ちょっとひっかかりますね(笑)。

神野  なるほど。

 関  見事さと、句の射程の限界とが、表裏一体の句ですね。

野口  でも、火の感じと蝶の感じが合ってる。ゆらめく感じが。

 関  人類は火を使う生物だという定義があるので、そこで既視感がある。

神野  そう。だから、一歩間違うと、理屈だけのつまらない句になるんですが、この句は互いのことばが引き合うことで、詩になってる。だから、ベースになっている発想のポピュラリティが、ぐいぐい効いてくる。

 関  進化論的な射程の中で「蝶のように生きたい」というヘンなものが出てくるのは面白い。

杉本  ただ、「難し」というのは常識的な気がします。あ、でも、実際しみじみ、蝶のようには生きられないよね。そのかなしさ、みたいなものは確かにあるね。でも、…うーんなんだろう、蝶の比喩が気になるのかな。

野口  「それでも人間」っていうところになるんじゃないですか。この句のおとしどころは。

神野  うん。それに「難し」と言いながら、この人は半分くらい、蝶のように生きてると思うんですよ。生きてみたから「難しい」って分かる。

野口  生きてみないと分からない。

 関  「生くるは難し」と言いながら、それが本心から嫌だ、と言っているんではなく、受け入れてますからね。

野口  絶望感はないですよね。

 関  蝶に憧れるような他界的な欲望もありつつ、日常の生活をこなしている自分に対する肯定感がどっしりある。

神野  日常にある「火」を通過して、いろんなものを見ちゃってる。そのかろやかさが、まさに蝶だなって思います。

野口  加湿器の句は…

 関  加湿器の句は怖い句ですよ。諭してくれたのを聞くだけは聞いてやったというふてぶてしさがどこかにあるような…。

野口  えっ。

神野  わたし、もっと嬉しい感じだと思いました。諭されてしまった気まずさというか照れと、諭してくれたことへの嬉しさ。自分をしずかに思ってくれているような。

杉本  あったかい感じがしますね。

野口  加湿器だから。

 関  加湿器だけだとあたたかいけど「諭しくれたるよ」とつながると「うっとうしい野郎だな」って感じになるかもしれない。

野口  えええ(笑)。

神野  「諭される」という体験が、関さん的に嫌なんじゃないですか。

 関  いや、加湿器を使うためには、部屋を密閉しなけりゃいけないでしょ。

神野  でもその密閉感がいいんですよ。

野口  包み込まれる感。

神野  比喩になっているので、加湿器が諭してくれてるんじゃなくて、加湿器のように諭してくれた人がいたってことを、ぽつりと報告してくれてる。だけど、こういうふうに言われると、加湿器そのものも、まるで諭してくれているようなやさしい動作だなと思いますね。比喩の面白いところで。

 関  この句、自分が受動態で「諭されにけり」と終わらせるような終わり方じゃないんですよ。相手は自分にこういうことをしてくれているという、こういう風にいうと、何を言われてもあまりこたえていないという感じが出るケースが多くてですね。

野口  そうなの?(笑)

神野  「くれたるよ」っていうのは、呼びかけというより、日記的な独白だと思いますよ。加湿器をつけてベッドに入ったとき、寝る前にその一日を振り返ってる感じでもいい。

 関  この句から連想したのは「きみみかんむいてくれしよすぢまでも   川上弘美」。

野口  あー、たしかに。

杉本  それに加湿器の句は、やっぱり神野さんっぽいよね。

野口  ぽいぽい。

神野  えええ(笑)。ありがたいやら、恥ずかしいやら。

 関  神野さんは「諭しくれたる」みたいな句、作りましたっけ?

野口  「くれたるよ」みたいな言い方は、しますよね。「くれにけり」でもいいところを「くれたるよ」にするあたりが…。

神野  「くれにけり」だとね、そこに男の人がいるんですよ。あ、これは相手は異性だと思うんですけどね、でも「くれたるよ」だと、そこにいないんですよ。

野口  過去形。

神野  一緒にいなくって、思い出してる感じ。「くれにけり」だと、「あーあ、諭されちゃったなあ」ということで、あんまり喜びが出ない。

野口  「諭してくれたことだよ」みたいな感じ?

神野  そうそう。

杉本  「くれにけり」だと、本当に説諭される感じ。

野口  「くれたるよ」というベタベタ感で、加湿器のベタベタ感もでるかもね。

杉本  でも、杉山さんって、この種の生活実感的な、そういう句を作る人でしたっけ?

 関  傾向としてはそういうのもありますね。

野口  わたしはそういうイメージかも。

 関  詠み方からすると、諭されたからって素直にきくタマじゃないなって感じがする。

野口  関さん、警戒しすぎですよ(笑)。

神野  女性不信気味ですよ(笑)。

野口  杉山さん、多作ですよね。

 関  『超新撰』の座談会でも言われてましたよね。違う編集方針の句集を、ぱっぱっと作っちゃう、幅の広さがある。

神野  芝不器男俳句新人賞の賞品として作った句集『春の柩』、猫の句ばかりを集めた『猫の手も借りたい』、それから『鳥と歩く』。

杉本  僕が好きなこの人の良さが、この12句にはあまりないなあ…採るならこれ。

冬麗の車窓に蛇腹専門店   杉山久子

 関  ふむふむ。

杉本  蛇腹専門店って、何を売るの?蛇腹?(笑)

野口  アコーディオン屋さん?(※蛇腹専門店は排気ダクト等の部品屋のようです)

神野  一瞬のシュールな風景ですね。「車窓」だから、すぐに通りすぎちゃう。

杉本  一瞬見えるのが「蛇腹専門店」だから、ちょっと心ふるえますね。

神野  わたしも、挙げた句以外には、どうかなと思う句もありました。

杉本  ちょっと歌謡曲のような感じがしちゃう。

神野  「明日の種やどる今日なり葛湯吹く」は良くないと思いました。「今日は明日の種」っていうのは、ちょっとしんどいかな。

 関  理屈で出来てる。「ピンボケの一日暮れゆく蕪蒸」もきつかった。

神野  蕪蒸とピンボケの組み合わせは素敵なんですけどね。蕪蒸って、ピンボケっぽいじゃないですか、味も見た目も。蕪蒸を写真に撮ったらピンボケしてたっていうだけでいいのにね。

 関  この「ピンボケ」は単なるもののたとえでしょ?一日、何も出来なくて漠然と過ぎちゃったっていう。

神野  そうそう。だから「ピンボケの一日」とか「明日の種」とかの把握は、案外、新鮮さもなくて、賛成できない感じです。先に挙げた直喩のほうがいいな。

杉本  でもこの、冬の蕨の帰郷の句も、神野さんっぽいね(笑)。

神野  えええ(笑)。杉山さんと出どころが近いからかな。わたしは、俳句甲子園というイベントを見て俳句を始めたんですが、それを企画した夏井いつきさんの自宅でやっている句会に、高校時代、毎月参加してたんですね。なので、「いつき組」に所属してる杉山さんとは、根っこが近いところはあります。

 関  ははあ。

神野  「冬の蕨」や「加湿器」の句は、彼女なりのさびしさが、よく出ている句だと思いました。

杉本  蕨はいいですね。くるりと丸まっている。

神野  はい。それに、蕨の季節である春じゃなくて、「冬の蕨」ですからね。なんとなく、見える景色が荒涼としている感じがしますね。冬の蕨の丈から見える世界も、春とは全然違いますね。そこに心象が投影されている。そんなところでしょうか。

(次回は、野口る理の推薦句をよみあいます)