2013年7月6日

feeding sharks with shark
men with men
El Dorado

意訳:鮫には鮫人には人を喰わせエル・ドラード

鮫や鱶(大型の鮫の別称)は、一部の歳時記では季語とされているが、伝統系の歳時記には記載されていない場合が多い、つまり、季語としての歴史は浅い。しかも、季語とする歳時記でも、夏の季語と冬の季語に分かれる。「現代俳句歳時記」によれば、鮫や鱶を夏の季語としているのはそれらが食用として夏が旬だからだそうだ。ちなみに、英語のsharkは季語にならない。

鮫が人を喰う光景は映画などで目にするし、人が鮫を喰う話は耳にするが、敢えて、鮫が鮫を、人が人を喰う羽目になる陰惨な光景を想像してみた。比喩的に考えれば、現代社会でもよく見られる光景だからだ。そして、句では、もはや存在が否定されている黄金郷エル・ドラード(エル・ドラドともいう)における光景として設定してみた。解釈は読者に委ねたい。

技術面に関しては、今回は特に言及することはない。原句はたった十二音だが、十分な内容を含んでいる。そして、原句に特殊な修辞も用語も使っていないだけあって、和訳は比較的真っ当である。やはり翻訳の上で障碍になりやすいのは、韻律と語彙のようである。

昨日の句に詠んだ海豚と同様に、鮫は古代から「わに」等と呼ばれて食材として用いられてきたが、海豚とは違い、殆どの文化圏においてタブー視されていない。味に関しては海豚よりも格段に劣るとされるが、鮮度が少しでも落ちると身体組織に蓄積されている尿素がアンモニアを生じさせてしまうからである。そのため、身肉は蒲鉾等の魚肉練り製品に加工されたり、フィッシュ・アンド・チップスに使われたり(オーストラリアのヴィクトリア州では大半が鮫肉とのこと)する。また、日本を含むアジアでは、アンモニアの影響が出ない鰭の部分が乾燥させられ、フカヒレ(鱶鰭・魚翅)として姿煮やスープに使われることが多い。しかし、鮮度の良いものや蓄積された尿素の量が少ない幼魚であれば、干物、煮つけ、湯引き、刺身等、一般の魚と同様の食べ方が可能である。

最近、英国人二人の著者による『古代ギリシア・ローマの料理とレシピ』を読み直したら、「サメのトロネ風」と「ホシザメのマルベリーソース添え」を発見。前者は紀元前三五〇年頃に活躍した食通の詩人アルケストラスの叙事詩を基に、後者は紀元二〇〇年頃の作家アテナイオスの『食卓の賢人たち』を基に、現代でも使えるように最小限の変更を加えられてレシピが再現されている。鮫は古代ギリシアや古代ローマでは普通に食卓に上っていたらしい。レシピは長くなるので割愛するが、前者ではクミン、ハーブ類、オリーブオイル、後者ではマルベリー(桑の実)、赤・白ワイン、蜂蜜、魚醤等が活躍するあたり、美味しさへの期待値が高まる。あとは、鮫肉さえ美味しければ料理は成功するはず……と思っていたら、作者の心を読んだかのように「イギリスではレストラン以外でサメを食べることはめったになく、非常に残念です。サメは地中海でとれる魚の中でも最も肉が多く、とてもよいフレーバーがあります」という記述が。本当かよ。

2013.7.6