2013年7月14日

possessed by a devil
I build temples
with sugar and pastry

意訳:悪魔憑きとなり異教の寺院を建立す砂糖と生地で

掲句を理解するには、devilとtempleの意味を知る必要がある。英語のdevilとdemonは同じ意味で用いられることもあるが、厳密には前者を悪魔、後者を魔神とする説もある。キリスト教では異教の神をdemonと呼ぶ場合が多く、人々に憑依してはエクソシストに追い払われるのは低級のdevilである。そして、templeは寺院、神殿と訳されるが、基本的には(モルモン教を除く)キリスト教以外の宗教の聖堂を指す。仏教、ユダヤ教、ヒンズー教、モルモン教の聖堂はtempleというが、カトリックや一般的なプロテスタントの聖堂はchurchという。

つまり、掲句では作中主体が悪魔に憑依されたが故、異教の寺院を建て始めた、という忌々しき事態なのである。日本では歴史的に西洋ほどの宗教戦争はなく、現代では、教義に無頓着という事があって、宗教間の対立は深くないので(日本に仏教徒は一億人程度いるが、自分が所属する宗派の教義を理解していたり、真言宗と天台宗の教義上の差をすらすれ語れたりする人はそう多くないはず)、誰かが別の教派・宗派の寺院を建てたからと云って大問題にはならない。実家が日蓮宗の人が浄土真宗の寺で南無阿弥陀仏と唱えても、神社に絵馬を奉納しても、よくある光景ということで済まされる。しかし、英語圏ではそうはいかない。同じキリスト教徒でも教派が違えば普通に殺し合っていたし、今でもキリスト教徒が念仏を唱えたり、神主にお祓いをしてもらったりすれば、それこそ乱心したか、悪魔に憑依されたかという騒ぎなる。異教の寺院建立に手を貸したら、間違いなく、悪魔の仕業ということになる。

ただ、砂糖と生地で異教の寺院や神殿を造る場合はどうか。ピラミッドや世界遺産を造る場合はどうか。その場合は宗教的な意味で悪魔に憑かれたのではなく、悪魔に憑かれたかのように見事な細工を凝らした菓子の芸術作品をつくり出しているのかもしれない。実際、19世紀初頭に活躍したフランスの料理人アントナン・カレームはそう思われていた。「国王のシェフかつシェフの帝王」と呼ばれていた彼は、フランスの外交官にして美食家のタレーラン(美食家の代名詞。コーヒーの事を「カフェ、それは悪魔のように黒く、地獄のように熱く、天使のように純で、まるで恋のように甘い」と形容したことから、『珈琲店タレーランの事件簿』の店名にもその名が使われている)、英国の摂政皇太子(後のジョージ4世)、ロシア皇帝アレクサンドル1世、オーストリア帝国皇帝フランツ1世、銀行家ジェームス・ロスチャイルドなどに仕えて、それまでの欧州料理を一変させた。

彼は、ピエスモンテ(pièce montée)という菓子用食材を積み上げて作る建築物のようなデザートで名声を博した。彼は建築の本を参照し、砂糖や菓子生地で前代未聞の精巧さと規模で寺院、ピラミッド、古代遺跡を象ったピエスモンテを造り上げた。その他、フランス料理のコックのかぶる帽子を考案したり、フランス料理の全てのソースを四つの基本ソースに基づき分類したり(ヌーベル・キュイジーヌ以前のフランス料理はソースが全てであったといっても過言ではない)、ロシアン・サービス(日本の会席料理と同じく、一品ずつ食卓に出す形式)をフランス料理に持ち込んだり(従来のフレンチ・サービスは全ての料理を一緒に食卓に出す形式)、古典的名著の『19世紀のフランス料理術』を著したり、近代フランス料理(そして欧州料理)の礎を築いた。そして近代のフランス料理は、カレームの技法を継承したオーギュスト・エスコフィエ(「ピーチ・メルバ」や「牛ヒレ肉のロッシーニ風」を考案。実業家リッツと一緒にホテル・リッツとカールトン・ホテルを設立)によって完成された。

さて、なぜカレームを出したかと云えば、今日がフランスの革命記念日(パリ祭)だからだ。日本でも季語になっている。カレームが仕えたタレーランは1789年に三部会の第一身分(聖職者)議員に選出されていたが、ジャコバン派による恐怖政治を懼れて米国に亡命し、帰国後に総裁政府の外務大臣、ナポレオンの統領政府の外務大臣、ナポレオン皇帝の侍従長、ナポレオン失脚後の臨時政府代表、ルイ18世時代の外務大臣、という具合に、風見鶏的な政治能力と美食(の政治利用)のおかげで革命後も栄華を極めた人物。なお、近代のフランス料理ができたのはフランス革命のおかげ。それまでの王族、貴族に仕えていた料理人たちは、革命のせいで軒並み解雇され、パリで比較的な裕福な一般市民を相手にレストランを始めるしかなかった。しかし、そのおかげで「上流階級の味」が人口に膾炙し、その料理人たちに弟子入りしたカレーム等の「平民」たちによって改良を加えられ、上は国際会議から下はレストランや大衆食堂で広められ、ついにフランス料理は「世界標準料理」になった。外交のプロトコール(公式国際儀礼)では、正式な饗応では原則フランス料理を出すものとされている(最近では自国の料理も認められるようになってきたが)。日本の場合、明治の開国以来、宮中晩餐は必ずフランス料理である(メニューもフランス語)。しかも、ミシュラン三ツ星のような流行の最先端を行く味ではなく、カレームやエスコフィエの影響が色濃い、近代風のフランス料理である。