2013年7月16日

in the mouth of a militant nationalist
pacific saury
garnished with grated haiku

意訳:好戦的な民族主義者の口にハイク下ろしを添えた太平魚

秋刀魚は、日本では秋の味覚を代表する大衆魚で、秋の季語とされる。しかし、江戸期の歳時記では、作者の知る限り秋刀魚を秋の季語とする記述はなく、たぶん明治以降に成立した新季語であろう。秋刀魚は傷みやすく、しっかりした冷蔵技術がなかった江戸時代、海辺以外では塩漬か干物しか出回っていなく、全国的には通季の食べ物と認識されていた可能性がある。

面白いことに、明治時代には「秋刀魚」という漢字表記は一般的でなく、夏目漱石も『吾輩は猫である』などで「三馬」と宛字している。「秋刀魚」の表記が一般的になるのは、大正時代に発表された佐藤春夫の詩「秋刀魚の歌」が人工に膾炙してから以降である。中国語でも同じ漢字で記しているが、たぶん日本からの逆輸入(「文明」や「労働」といった言葉も「日本製」らしい)。

秋刀魚は、英語名のPacific sauryが示すように、太平洋(Pacific Ocean)の北部に広く生息する魚である。そのため、主に日中韓で食される魚であり、西洋料理に出ることは滅多にない。当然、英語圏では季語でもないし、大したキーワードでもない。情緒も本意もない。

掲句におけるキーワードの一つは、Pacific sauryではなく、「太平・平和的」を意味するpacificである。好戦的な民族主義者がそれを口にしているのは皮肉である。しかも大根下ろしならぬ世界的な詩型であるハイク下ろしを添えてあるので、好戦的な民族主義者も平和的な世界主義者(コスモポリタン)になってくれるかもしれない。優れた食事と詩歌は、武器よりも効果的な政治的道具である。

なお、和訳は大失敗である。「秋刀魚」と表記したら、むしろ好戦的なイメージが湧いてしまい句意が真反対になってしまう。「さんま」や「三馬」では落ち着かないし、ナンセンスな句になってしまう。そこで苦肉の策だが、日本語における「秋刀魚」という魚のイメージを捨てても良いので、「太平魚」と造語してみた。つまり、原句の魚が秋刀魚である以上に平和の魚であることが、句にとって重要だったのである。

それにしても、東日本大震災に伴う原発事故のせいで、秋刀魚も放射能に汚染されてしまったというニュースをよく読む(「風評被害」ではない)。秋刀魚はほぼ100%回遊魚であり、養殖されていない。揚がる港が違うだけで同じ時期のものは漁場が同じであるが、福島第一原発の海洋汚染はすっぽり秋刀魚の分布と重なっている。福島沖半径100キロ圏内で秋刀魚漁を自粛したとしても無意味で、釧路産でも銚子産でも揚げられるのは同じ海域で泳いでいた秋刀魚。放射性物質は海に沈むから大丈夫という人もいるが、それも気休めで、実際に震災前の数十倍の量の放射性物資が検出されている。福島沖のアイナメに比べれば少ないが、それでも生物濃縮があるし、未だに原発の汚染水が海にだだ漏れしているようで、当面は全く安心できない。作者は三陸産の秋刀魚が好きなので、多少の汚染なら目をつぶるつもりだが、正直つらい。事故後二年以上経っても汚染水の海洋流出を止められないのに(公式発表では「原因不明」とのこと)、全国各地の耐用年数が過ぎているポンコツ原発の運転を再開しようとしている連中たちがいる。事故の原因となり得る地震は防げない、原発の老朽化も防げない、事故になれば汚染水の流出も防げないのに、である。

そう思っていたら、掲句も「原発賛成派の口にハイク下ろしを添えた汚染魚」の意味となるように改作してみたくなってきた。