2013年7月19日

degenerate art
haiku sandwiched
between two lips

意訳;頽廃芸術たとえば唇に挟まれた俳句

今日から76年前の1937年7月19日、ミュンヘンでは、ナチス・ドイツの宣伝省の手によって頽廃(退廃)芸術展が開催された。頽廃芸術(degenerate art。ドイツ語ではEntartete Kunst)とは、ナチスがドイツ社会やゲルマン的民族感情を害する、道徳的もしくは人種的に堕落したものと見做した一部の近代美術ないしその芸術観のことである。当時は、ナチスの公認芸術が大ドイツ芸術展などで称賛された一方、頽廃芸術は頽廃芸術展で晒しものにされ、その作者らは公職を追放されたり、制作を禁じられたりした。政治が芸術に悪い意味で関与した代表例である。

わが国では、1946年に桑原武夫が第二芸術論が唱えて以来、俳句が第二芸術なのかどうか大論争を巻き起こしたが、作者は半ば伝説的な虚子の反応が好きだ。『アサヒグラフ増刊・俳句の時代』1985年4月1日号において、河盛好蔵は座談会で次のように述べている。「虚子が第二芸術論が流行っている時分、喜んだという話。これは出処が僕なんです。終戦後のごたごたしていた時分に、フランスにゆかりのある人々の集まりがあったんです。そのとき池内友次郎君に久しぶりに会いましてね。『あの論文、お父さん読んだか』と聞いたら、『おやじ、喜んでました』っていうんです。僕はびっくりしてそのわけをきくと、『自分たちが俳句をやっていたときは第八芸術ぐらいにしか考えられていなかった俳句が第二芸術にまで出世することができたって、おやじが喜んでいました』というんですね。そのときは、ひどい皮肉だと思ったんですが、あとになってよく考えてみると、本当に虚子は喜んだんじゃないかと思うんです。」

さて、唇に挟まれたままで、咀嚼して味わうことも、口(声)に出すこともできない俳句。よく見かけるが(何て多いこと!)、そういった俳句は第二芸術どころか、本当の意味での「頽廃芸術」かもしれない。虚子の言う「第八芸術」以下である。それこそ頽廃芸術展で晒すまでもなく、紙と金と時間と労力の無駄であるから、さっさと廃棄処分にしてほしい。人様の芸術を勝手に断じる権利が作者にあるのか、と疑問を呈する読者もいよう。しかし、思い出してほしいのだが、評論家はそれをすることで称賛され、金を稼いでいる。ナチスと評論家の差異は、ナチスの趣味が現代人の大半が客観的に見て異常だと思うというくらいで、実質は僅差なのかもしれない。ちなみに、作者は、ナチスや評論家たちほどの自尊心は持ち合わせていない。ナチスの定義による一部の近代美術に対する頽廃芸術観は明らかに偏見と悪意に満ちていたが、作者の定義による一部の現代俳句に対する頽廃芸術観もには失望と悪意がある……と思っているだけである。そして、作者自身のハイクや俳句がそれに該当しないよう、これからも只管精進する次第である。

と、そこそこ真面目なことを言ってみたが、今回の食べ物はサンドウィッチ(sandwich)。パンやクッキーなどに肉、野菜などの具材を挟んだ料理である。受動態の動詞として使われると、由来になる食べ物の形状から「挟まれた」という意味になる。なお、サンドウィッチそのものの名称の由来は、賭博ゲームをしながらでも食べられるそれを愛好した第四代サンドウィッチ伯爵ジョン・モンタギューである。サンドウィッチそのものは、古代ローマをはじめ世界中に古くからあった。

昨日のドーナツに続き、サンドウィッチも作者が好きな食べ物ではない(アイスクリーム・サンドウィッチは別である)。確かに、美味しいものもあるが(それらは食べることには食べる)、あまり料理人の創意工夫や技術力が反映される料理でないところが厭なのだ。ビクトリア女王時代やエドワード王時代における英国の上流階級が好んで食べたキューカンバーサンドウィッチ(胡瓜のサンドウィッチ)などは、料理としては最低の部類に入ると思う。いくら質素でも、日本料理とは対極にある。茶会に招かれてキューカンバーサンドウィッチを齧るたび、作者が想い起すのは英国の上流階級ではなく、日本の歓楽街で淋しそうに立っているサンドイッチマンなのだ。