global yet local
chocolate rain
pouring in my brain
意訳:広域的かつ局所的脳内に土砂降りのチョコレート雨
グローバル(global)とローカル(local)は対義語だと思われている。グローバルは、基本的には広域的(場合によっては地球的、世界的)という意味だし、ローカルは局所的(局地的)という意味だからだ。マクロとミクロのようなものである。しかし、実際の物事はそのように白黒つけられるものではなく、最近は「地域性も考慮してグローバルな視野に立つ」という意味のグローカル(glocal)という概念が流行っている。グローバル・スタンダード(世界標準規格)をそのままどこにでも当てはめるのは難しく、結局は場所ごとにカスタマイズする必要がある、ということに人々が気付き始めたからだ。ビジネスもインターネットも純粋にglobalではなくlocalの要素が強いglocalである。日本独自のトレンドがある。天候もそうだし、チョコレートの味にしてもglocalである(あのベルギー王室御用達の「ゴディバ」も国によって味を変えている)。自分の価値観にしても、社会と共有する部分と自分独自の部分がある。
掲句では、脳内でglocalにチョコレートの雨を降らせてみた。解釈としては、甘露のような恵みの雨、放射能を帯びた黒い雨、チョコレートや雨のようにglocalなものの象徴、思想や価値観の喩など、色々と成リ立つが、作者がどの解釈を意図していたのかは秘密。修辞は女性韻(feminine rhyme)、男性韻(masculine rhyme)、比喩くらいである。問題は和訳の方で、出来がよくない。韻律を訳せないのは仕方ないにしても、「広域的」「局所的」はこなれた語彙ではない。ただ、「グローバルかつローカル」にしてしまうと広域的ないし局所的な土砂降りというニュアンスが消えてしまう。良い塩梅にはならなかった。
今回の食材はチョコレートであるが、薀蓄は最小限に留めたい(多すぎるからである)。チョコレートは、カカオの実を使った飲み物または食べ物を指す。現代では、基本的に、カカオ種子を発酵させて焙煎したカカオマスに砂糖、ココアバター、粉乳などを加えて練り固めたものとされる。そのため、カカオの流通とチョコレートの流通はほぼ同義である。紀元前二千年頃には中米でカカオが栽培されていたそうだが、すでにカカオの粉に唐辛子等を入れて湯に溶かしたホット・チョコレート(ホット・ココア)が存在していた。数千年後、十五世紀末になってヨーロッパにカカオが紹介された際、ホット・チョコレートも薬としてヨーロッパに持ち込まれた。ただ、唐辛子のかわりに砂糖が入れられるようになってから、薬としてではなく嗜好品として消費されるようになった。一説では、1617年にメキシコに渡った支倉常長がホット・チョコレートを飲んだらしいが、たぶん唐辛子ではなく砂糖入りであったと思われる。そして、十八世紀に始まった産業革命の頃から、ついに固形のチョコレートが一般に流通するようになって現代に至る、というのがチョコレート史の概略である。
さて、中米などで採れるカカオを主原料とし、一年中消費されるチョコレートが季語になる可能性は万に一つもない。でも、バレンタイン・チョコレートと云えば季語になる。但し、日本独自の季語である。バレンタインデーそのものは当然欧米でも季語になるが、女性が男性に愛情の告白としてチョコレートを贈る習慣は日本独自のものだからだ。欧米では、バレンタインデーには男性も女性も、恋人や親しい人(恋人に限らない)に様々な贈り物(チョコレートに限らず、花、菓子、カード等も)をする。当然、ホワイトデーは存在せず、ホワイトデー・チョコレートも存在しない。なお、恐ろしいのは、イスラム法の運用が厳格なサウジアラビア。バレンタインデーを祝うことは違法行為となっており、その日にチョコレートを恋人に渡せば最高刑で死刑もあり得る。