merman pierced all over with hooks; mermaid pierced with rings
意訳:釣針だらけの半魚人ピアスだらけの人魚
今回の連載では珍しく、英語の原句よりも和訳の方が多少マシな例。言語化の前に発想があったので、必ずしも英語で最適化されていない。敢えて一行表記にしてみたものの、明らかに長すぎるし、韻律も悪く、面白さがない(そんなハイクをなぜ「スピカ」に出したのか、良い子は訊かないでほしい)。そもそも、ピアスは和製英語であって、英語のpiercedには「穿孔される」の意味しかない。イヤリング等のリングに限らず、釣針や槍が身体を刺し通っていてもpiercedである。そのため、体の部位に刺し通す装飾的リングをピアスという3音で表現できる日本語に軍配が上がる。しかも「だらけ」に相当する便利な語彙は英語にない。
お気付きの読者もいると思うが、今回の食材は半魚人・人魚(merman/mermaid)。日本語では、前者は上半身が魚で下半身が人の男性、後者は上半身が人で下半身が魚の女性、というイメージが確立されているが、英語のmermanとmermaidには性別以外の差はない。どの部位が魚でどの部位が人かという規定はない(物語などでは、大抵のmermanは上半身が人で下半身が魚の男性、もしくは殆ど人の男性だけど鰓がある)。
日本には八百比丘尼伝説があり、人魚の肉(仁羹と云う)を食べれば永遠の命と若さが手に入るとされる。朝鮮半島にも漁師の娘が人魚を食べて数百年生き続けたという民話がある。中国や西洋にも半魚人・人魚の話は沢山あるが、食材になった話は未だに読んだことがない。世界中に半魚人・人魚の話があるのは、昔の人々が海棲哺乳動物のジュゴンを見間違えて本当に信じていたからだ、という説があるが、珍説の域を出ない。ジュゴンは、確かに人と同じく乳頭が胸部にあったり、鰭状の前肢で子を抱いたり、立ち姿で海上に浮いたりするが、人からはほど遠いシルエットをしているので見間違えることは実質不可能である。但し、絶滅寸前で捕獲が禁止されているジュゴンの肉は、一説によれば人肉と間違えそうなくらい美味しいらしく(出所不明)、人の母乳のような匂いがある上、全ての肉に優る深い味わいがあるそうだ(こちらの出所は辺見庸『もの食う人びと』より「人魚を食う」)。そのジュゴンの肉を人魚の肉と間違えてしまうことは十分あり得るだろう。不老長寿は望めないが、禁忌を犯すことによって得られる快楽は紛れなくあるはずだ。
余談であるが、作者はアンデルセンの「人魚姫」よりも小川未明の「赤い蝋燭と人魚」が好きである。いずれも救いのない、とことん暗い話であり、(子供に読ませて意味ある童話だとは思えない)、いずれも善悪や行いの良し悪しと関係なしに不幸がやってくる運命の非情を描いている。だが、前者の悲恋が個人レベルで終わり、死ぬのは人魚姫だけ、人間たちは無傷で済むのに対して、後者の悲劇は社会レベルであり、人魚は助かり、逆に街が滅びるまで毎年祟りが人間たちを襲い続ける。人魚を売った老夫婦や人魚を買った香具師に留まらず、全く無関係な人々も巻き添えになる(つまり、後者にしても勧善懲悪物ではない)。世界が滅ぶかのようなこの痛快さが堪らなく好きだ。肝心の人魚も助かる。罪のない一人が人知れず不幸を背負う西洋のおセンチな話よりも、罪があってもなくても大勢が人知れぬ理由により不幸になる東洋の豪壮な話に、人間を罰せずに保全する話よりも、人間を罰して滅ぼしてしまう話に惹かれる。
昨日に続き、怪奇的な内容になってしまった。人魚は季語ではないが、日本の夏にはやはり怪談が合う。