2016年2月12日

方違しつつ流るる石鹸玉

無題

天王山の登山道脇に、丈夫な金属製のレールが敷いてあるところがある。ずっと登山道に沿っているわけではなく、到底歩けないような急斜面など独自の道も突き進んでいる。このレールは、掘った筍を運搬するためのレールとのこと。さすが、古来よりの筍の名産地、乙訓。残念ながらいまは使っていない。ずいぶん農業の規模が縮小されてしまったのだろう。天王山の竹は相変わらず豊富である。思えば、明智光秀が最期を迎えた小栗栖の藪というのも、場所は違えど竹林。天王山の戦いが開戦したが最後、光秀は竹から脱出することは叶わなかったのである。

さて、天王山の登山道の入口の一つには、「小倉神社」がある。延喜式神名帳にも掲載されている、乙訓地方でも最も古い神社の一つである。昔は境内に能舞台と楽屋もあって、小倉能なるものが奉じられていたらしい。いまはもう無いけど。本殿は三間社流造というオーソドックスな造り。やっぱり流造ってカッコいいと思う一方で、決して新しいものではないのだけれども、どこか現代的な臭いがあるのも否めない。唯一神明造を眼前にした感動とは質が違うんだなあ。普段は人の気配もあまりなく、こじんまりとしているせいで昔から「そんな大した神社じゃない」と思っていたけれど、しっかり見ているとなかなか面白くて、珍しい意匠がいたるところにある。どれも全く主張していないのが奥ゆかしい。小倉神社の由緒の説明板のすぐ下あたりに、「十二支石像」と墨書きした白い紙が貼ってあって、これは目立つし、これら12体の石像は十分珍しいのだけれども、この紙だってつい一ヶ月ほど前には無かったはずだし、参拝ルートの横の道なので知らない人はやっぱり知らない。誰でも通るところにある珍しいものは、拝殿の中を参道が突っ切る形になっている割拝殿というものであるが、これが珍しいとい気づく人が果たしてどれだけいるだろうか。それに小倉神社の場合は、割拝殿を抜けたすぐのところに普通のかたちの拝殿があるものだから、「立派な門があるんだな」くらいにしか思っていない人も多いかもしれない。これ、割拝殿といって珍しいんだよ、と言っても、京都の地、この珍しい割拝殿も集まっていて、伏見の御香宮神社にも立派な割拝殿があるし、鞍馬山にある、京都三大奇祭の一つ「鞍馬の火祭」で有名な由岐神社なんかは、結構急な坂に割拝殿が通っているものだから、割拝殿の中の参道も階段になっていて、珍しさは群を抜いている。目立たないのも無理はない。でも小倉神社がこの地に鎮座した理由は、ここが平安京の裏鬼門だから。そう考えるとかなり重要。山崎の戦いに際して羽柴秀吉は家臣の片桐祐作をこの地に遣わして戦勝祈願しているし、蛤御門の変でも徳川方が戦勝祈願しているし。で、それぞれどちらも勝っている。ご利益は、ある。

小倉神社の二の鳥居を出て参道をすこしそれた道に入ると、そこには「鳥居前古墳」がある。帆立貝形古墳である。かつては竹林の中にあった古墳。いまは竹がばっさり刈られ、剥き出しになっている。宅地開発のためだ。このすぐとなりが自分のいま住んでいるところ。実は、都の裏鬼門に住んでおります。古墳が剥き出しになったことで、こんなに近くに住んでいたのかと驚く一方で、故人の眠りを阻害しているようでいたたまれない。何よりも、自分の家の新車が、工事の影響によってすぐに砂塵で汚れてしまうのが、どうも我慢ならない。