2016年2月21日

ものの芽やどこかは雨のにほふ庭

20160221

山崎宗鑑の碑を越えてすぐのあたりで道は二手に分かれる。左に行くと宝積寺、右に行くと大山崎山荘。天王山登山へはどちらの道も続くが、いちおう右手が登山道であるようだ。右に進んでしばらくゆくと、秀吉の天下統一までを描くひとつ目の陶板が置いてある。当時の勢力図が描かれており、これはまだまだ序章。そこからすぐのところに、小さいながらも立派なトンネルがある。「琅玕洞(ろうかんどう)」という。琅玕というのは、暗緑色または青碧色の半透明の宝石のこと、あるいは青々とした美しい竹のこと。響きも見た目も美しい日本語。この琅玕洞はレンガ造りで、くぐった瞬間に空気が一気に変わるよう。大山崎山荘へは山を切り開いてアプローチが拵えられているのだけれども、斜面をすべて切り開いて門にするのではなく、少し残してトンネルにするあたり、加賀正太郎のこだわりを感じずにはいられない。
トンネルの入り口近くには、夏目漱石の句碑が立っていて、

宝寺の隣に住んで桜哉     漱石

とある。ここを訪れた大正4(1915)年4月15日木曜日に漱石が詠んだ俳句で、彼もこの地の自然と歴史に魅了されていたのだろうなと思う。琅玕洞を抜ければそこは大山崎山荘の私有地で、広く立派な庭園をぐるりと回って斜面を登る。途中にあるレストハウスのコインロッカーに大きめの荷物は預けるのだけれども、ここもかつては車庫であり、テューダー・ゴシック様式で建てられた立派な建物である。そこからさらに進むと山荘が見え、その前に低い背でありながらも凝った意匠の門がある。流水門という。かつてはこの門の前に水が流れていたらしい。門の内にもいくつかの建物があり、それぞれがそれぞれの雰囲気を醸し出しているのだが、やはりひときわ目を引くのは大山崎山荘。この土地の主。趣向や工夫が凝らされた内装、普段の生活空間と比較すれば異世界のようなところでありながら、どの部屋にいても落ち着きを感じるのはさすがとしか言いようがない。上階のベランダへ出れば、三川合流を眼下にかなり遠くまで見渡すことができる。

加賀正太郎の通っていた祇園新橋のお茶屋「大友」の女将で、夏目漱石の大ファンでもあった磯田多佳が、加賀正太郎と夏目漱石を引き合わせた。漱石の大山崎山荘への来訪に同行した多佳の日記にはこうある。

 ……空も晴れて窓より見渡す男山洞ケ峠より遠く宇治巨椋あたりも手にとるよふにて、木津川、桂川、宇治川など一になり、あれより淀川となり流れ行くと山荘の主におしへらるる。橋の姿二つ三つ見え、白帆のかげもおもちゃの様にて先生も是はめづらしい詠(なが)めとおよろこびになる。
 庭つづきなる宝寺へも参り、〔中略〕年古りし塔そびへ立ち、あたりはあつものの桜盛りにて〔中略〕先生の一行は日影あたたかきお寺の古びし縁先に横になり、おしゃべりの住持の持ち出した宝物などみて居られる。

漱石が考えた、漢詩由来の14の名称案はどれもいいものではあったが、やはり「大山崎山荘」には敵わない。「大山崎」という名前の抱えているものが多すぎる。漱石もそういうことを感じながら絞り出していたのだろうと思う。

最後に、この山荘のベランダからの一首。

   三つの川ひと目にみつつはつ夏の高殿にたてば風ゆたかなり     九条武子