2017年4月9日

あはゆきのごとく融けゆく陶のこと

幻想的な文学作品への嗜好はのちに耽美的な方向へと傾斜していくことになった。
そのきっかけは高校生のときに読んだ赤江瀑の小説である。性交している女の肌に刺青を施すという短編『雪華葬刺し』は、後に京本政樹らが出演した映画版を観たのでよく記憶している。
芸術や工芸の美にとりつかれた人々を描きながら、怪異やエロスの要素を盛り込んだ濃密な作品世界に当時の私は強く惹き込まれた。
それにしても、高校生の私に赤江瀑の本を貸してくれた人は何を考えていたのだろう。同じ嗜好をもつ人間への嗅覚のようなものがはたらいたのだろうか。
その頃、もっとも熱中していたのはバンドと歌舞伎であった。
高校一年生のとき、学校の行事で巡業公演を観たのが初めての観劇であり、さっそくその年の十二月に京都南座の顔見世興行を観た。
私がことに気に入ったのは上方和事といわれる関西の町人を主役としたジャンルであり、当時中村扇雀と名乗っていた坂田藤十郎が演じる「吉田屋」の伊左衛門、「封印切」の忠兵衛などの愛嬌と色気が印象に残っている。
当時関西で歌舞伎公演は年に数回しか観ることができず、文楽の公演のほうが多かった。そこで文楽も何度か観たが、やや物足りなく感じた。当時の私は役者の生身の色気を求めていたのだろう。
私のなかで歌舞伎と文楽の序列が入れ替わるのはずっと先のことである。