2017年4月26日

数千地涌の菩薩渦なす没日かな

バンド「汀の火」で漱石『夢十夜』をとりあげたことは先に述べた(第8回)が、少しさかのぼって、このバンドを結成することになった経緯などを書いておきたい。
BRÜCKEで出会った歌手、大野円雅氏の企画したライブに朗読で出演させていただくことになり、せっかくだからオリジナル作品を作ろうということになった。この話が出たのは先述のPoetry Circusの前後、2015年の春頃である。そこで私は、折口信夫の『死者の書』を歌曲に翻案し、朗読と組み合わせてひとつの作品にすることを提案した。作曲者の今井飛鳥氏とは同年夏に両国で行なわれた現代音楽の演奏会ではじめてお目にかかった。
俳句を通して日本語に付き合ってきた経験を活かす道は、なにも俳句の実作と評論に限られるわけではない。私にとって「汀の火」は、それを確かめるための活動でもあった。俳句を作るからには俳句によってしかできないことをやりたいという思いがあるが、俳句にしかできないこととは何かを考えるうえで、短歌やTwitter小説そして「汀の火」など、俳句以外の活動が、示唆を与えてくれることが多かった気がする。
『死者の書』は、中学生の頃に一度読み始めたものの、途中で挫折していた。それをあらためて読もうと思ったきっかけは、2009年に安藤礼二が『光の曼荼羅』で大江健三郎賞を受賞したことである。講談社で行なわれた受賞記念の大江、安藤対談を聴き『光の曼荼羅』の主なテーマである折口信夫と『死者の書』に興味を持った。
あらためて読んでみて、繰り返し語られる彼岸中日の没日の光景と、その残像に重ねるようにして中将姫が描く曼荼羅のイメージの荘厳さに惹かれ、音楽的な文体の美しさに驚いた。また、折口自身が『死者の書』のテーマについて語っている「山越しの阿弥陀像の画因」を読み、原始的な太陽信仰の一形態である「日想観」が『死者の書』と深く関わっていることを知った。