2017年4月27日

藤房の下ここちよく死者並ぶ

『虎の夜食』は、生きているうちに作られた遺句集と言えるかもしれない。ただ、その意味するところは読者の方々が想像されるであろうこととは異なっているはずだ。
発表した俳句作品をすべて預かり、選をして句集を作りたいという提案が青嶋から出されたのは数年前のことで、それが実現に向けて動きだしたのは2016年に入ってからである。
一度句作を中断したときから、過去の自分の俳句作品に対する気持ちも変化し、自分とは別の俳人によるもののように感じていた。そのことが提案を受け入れる素地になったのかもしれない。一度死んでしまった自分の遺句集をつくってもらうような感覚と言えばよいだろうか。
同じ「遺句集」というキーワードが青嶋の口からも出たので驚いた。彼女はもともと、万が一私が死亡するようなことがあった場合、遺句集を作らなくてはと考えていたが、いつの間にか私の生死と関わりなく句集を作ってみたいと思うようになったとのことである。それを実際に提案するまでに至ったのは、私が長年ぐずぐずと句集を出さずにいたからだろう。思えば、2002年刊行の『無敵の俳句生活』のプロフィールに「第一句集『機械孔雀』を刊行予定」と書いてあったのである。それから15年間、いろんな人にすすめられながらも句集を出さなかったのは、ひとことで言えばモラトリアムである。
以前私は「第一句集を発表するということこそが、俳人の誕生であるということができるかもしれない。(中略)句集を作っていない者は俳人としてまだ生まれていない、そのように考えることは私にとってたいそう魅惑的である。」(「佐藤文香句集『海藻標本』を読む(1)」―俳句空間―豈weekly 第1号)と書いたが、裏返せば、句集を出すことによって、俳人としての自分がなんらかの枠にはめられてしまうのではないかという恐怖があった。
かつて入門書についていた添削チケットを使わず無駄にしてしまったのと同じように、いつまでも決断できず先延ばしのままさらに年月を重ねていた可能性もあった。皮肉なことだが、俳人としての自分への関心が薄れたことによって句集出版への道が開けたのである。