2011年8月18日

枯芭蕉かく語りきと伝えなむ

石燕『今昔百鬼拾遺』「芭蕉精」に次のような詞書がある。

もろこしにて芭蕉の精人と化して物語せしことあり。今の謡物はこれによりて作れるとぞ。

謡曲「芭蕉」は中国の志怪小説『湖海新聞』に取材したもので、金春禅竹の作。楚の国で法華経を読誦する僧のもとに女があらわれ聴聞する。女の熱心さにまけて宿に招いて問答しているうち、女は自分が芭蕉の精であると語り、舞を舞う。このとき、芭蕉である自分でさえも成仏が約束される、「草木国土有情非情」も成仏できる、山川草木悉皆成仏の論理が強調され、その喜びのなかで芭蕉は姿を消すのである。

この、草木もすべて成仏できる、という考えは中国仏教の影響下に中世日本で流行した本覚思想と呼ばれる思想である。これを明確に文芸化したのが能であり、能のなかでは数多くの「霊」が登場し、成仏する。こうした人間以外にも霊魂があるという考えは仏教によって裏打ちされたものであり、原初的なアニミズムとは異なっていよう。しかしその後ひろく受け入れられ、日本の霊魂観、妖怪観にも多大な影響力をもったのである。

参考.末木文美士『日本仏教史』(新潮文庫、1996)、永原順子「能の「不思議」―能における霊魂観―」『怪異学の可能性』(角川書店、2009)