2011年8月19日

どう見ても猫股である秋暑し

 

「奥山に猫またといふものありて、人をくらふなる……」で始まる『徒然草』八十九段、中高の教科書でご記憶の方もあろうと思う。

猫またの話は鎌倉時代の『明月記』(藤原定家の日記)にも見え、奈良に猫股という獣が出て一夜に七八人を食らったと記録されている。まるで怪獣である。しかし、二百年ほどくだる『徒然草』では、山奥でなくとも年を経た猫が人を襲うことがあるという話を聞いた連歌師が夜中に帰宅し、足もとにまとわりつくものを猫またと思いこんで悲鳴を上げたところ、正体は飼い犬だった…、という笑い話になっている。

「猫が年を経て妖怪となる」という話は『徒然草』を経由して江戸時代に増加し、多くの説話集や民間伝承で語られるようになった。江戸後期になるが文政十年(1827)に鶴屋南北の歌舞伎『独道中五十三駅』も上演され、以降、鍋島の猫騒動など一連の「怪猫もの」作品が愛好された。「猫また」も「猫魔」の字を宛てられ、怪猫をあらわす語として定着していくのである。『狂歌百物語』(1853)にも兼題が載る。

  あしひきの山猫の尾の二またのながながしきをひきて踊るや  頓々
  御あかしの油をなめて灯心の二また猫も都市をふる寺  山道廻冨茂登

ちなみに管見ではこの、「猫また」の尾が二股に分かれている、という説は1700年代以降にしか見られない。現存する妖怪画にも、二股のものとそうでないものとがある。同じ「猫また」でも『明月記』と『狂歌百物語』とではまったく別物である可能性があるのだ。

 

参考.横山泰子「芝居と俗信・怪猫物の世界」小松和彦編『怪異の民俗学2 妖怪』(河出書房、2000)