2011年8月21日

星降れる天狗星とか夜這星

日本で「天狗」という言葉が使われたのは『日本書紀』舒明九年(637)にさかのぼり、大きな音をたてて落ちる流星を渡来人系の僧が「天狗」と呼んでいる。これは古代中国の天文学、占星学にもとづく知識で、犬の鳴き声のような音をたてるので天狗といい、戦乱の前兆とされている。ところが日本ではこれ以降流星のイメージは途絶えてしまう。

『源氏物語』には山林での怪異を天狗の仕業かと疑う場面がある。天狗の記述が増える院政期の『今昔物語集』では幻術を使って仏教修行者をたぶらかす魔性とされ、多くが仏法によって撃退される。またモノノケの一種とも考えられていたようで、『大鏡』では三条天皇にとり憑いた僧侶の霊を天狗とする。これは羽を持っていたらしく、鳥のようなイメージだったようだ。このように魔道に入った人の霊も天狗になるとされ、保元の乱に敗れた崇徳院は自ら魔になったという。

中世の絵巻物では天狗は鳥人間、今でいうカラス天狗のような姿で描かれている。これは中国の仏教美術で描かれた、仏法を守るカルラ天や鬼神の影響らしい。一方、能では「おおべしみ」という面が使われ、やや現代の鼻高天狗に近い。しかし鼻高天狗が定着するのは室町時代も後期になって以降、ほぼ江戸時代からである。

古代中世の天狗はおもに世を乱す悪役、またはやられ役だったが、謡曲「鞍馬天狗」では鞍馬山の天狗が牛若丸(源義経)に兵法を授ける。この時期から次第に、我々のよく知る「天狗像」が形成されていく。

参考.杉原たく哉『天狗はどこから来たか』(大修館書店、2007)