神野 最終的に、『新撰21』『超新撰21』に揃えて21人、じゃなくて22人っていうのは意味がありますか?
上田 人数自体は偶然。
西原 『新撰21』『超新撰21』は意識してましたよね。踏襲する部分と違う部分をはっきりさせないとダメだと思ったから、制作の段階で、「21人は避けたい」って信治さんに伝えた。22人という人数はなりゆきだけど、結果、ちょうどいいあんばいでしょ、22人というのは?
上田 これ以上分厚くせずに済んだっていう。
江渡 結構厚かったですよね。
上田 これね、ページ数そんなに変わってないの。紙を変えたんだ。
西原 『新撰21』『超新撰21』見てて、あのページ数であの薄さっていうのはちょっともったいないなって思っていました。もう少しボリューム感が出た方がいいんじゃないかと。
神野 韓国に、十六茶じゃなくて十七茶があるっていうのと・・・、っていうと悪い意味っぽいね。(笑)それ聞いたときの楽しさ、ずらしの楽しさってあります。
西原 それまでの21にプラス1というのも良かったんじゃないですか。それと、21世紀だから21、といういくぶん大上段なかんじは『新撰21』『超新撰21』には似つかわしくても、『俳コレ』には似合わない。
神野 あと特徴的だと思ったのは、プロフィール欄の「影響を受けた人」とか「意識していること」とか。
江渡 面白かったよね。
神野 なんというか、「それ書くんかい」みたいな人が結構いて。
上田 質問の捉え方で世界観みたいなのが見えてきますよね。
野口 他の人の見て、わたし、空気読めてない、というか、スベったなぁと思って・・・。
神野 プラトンとアガサクリスティ。
上田 そんなことないよ、あそこで両親とか書く人のほうが珍しいよ。ただ、てふこさんが、あえて書く、っていう面白さはあるけどね。
神野 みんな、先生とか師匠とか挙げるのはビックリしましたね。ふつう、師匠に影響を受けるのは前提で、わざわざ挙げないものだと思ってたので。挙げちゃうってところが逆にひとつの共通点というか。
上田 それは、単純に新人だからってことではないですかね。自分が初めて出るときには一応仁義を切らなければならないというか。
西原 第一句集を開いたら、主宰の文章があるのと同じノリ。
神野 それとはまた違うと思うんですよ。俳句総合誌で「今年注目した俳人」「影響を受けた俳人」というアンケートがあったときに、師系のひとを書くのかどうかっていうのと近いかな。でも、それを持ち込んでくる感じっていうのは、なんというか、良いとか悪いとかってことではなくて、びっくりしました。
野口 この質問をここに入れたのはなにか意図があるんですか?
上田 んー、まあ、ふれあいスペース、みたいな。
神野 やっぱり、作家性で読むときの、ヒントが欲しいってことなんですかね。
西原 僕はね、作句信条を書いてもらうのはちょっと抵抗がある。
上田 解説になっちゃうからですか?
西原 解説ならまだいいけど、言い訳になってしまうことがあるでしょ。
上田 なるほど。今回みんな、意外と気の利いたこと書いてくれたような気がしますよ。
西原 読んでくれただけでありがたいですよね。あんな小さいところ。
神野 もちろん隅々まで読みましたよ。
江渡 うん、興味深かった。
神野 これまで作家性っていうものを、なんとなく、ちょっと横に置いておこうかって感じになってたと思うんですけど、もう一度戻してきた流れだと思うし、戻ってくるといいなあと思います。
上田 いろいろ、これまでの流れに対する反動のある、そういう時期かもしれないなあと思いますね。
神野 あと『俳コレ』の、もうひとつの面白いポイントは、最後の座談会ですよね。アンソロジーとしての面白さ、プラス、座談会でいったいどういうふうに読まれるのか、ということ。
上田 そう、池田さん、岸本さん、関さん、髙柳さん。座談会にお呼びしてから思ったんですけど、『新撰』『超新撰』の座談会メンバーは小澤さんをのぞいては撰者でもあったから、自分たちが選んだ作家なわけじゃないですか。でも、今回、池田さんや岸本さんって、縁も所縁もないひとの句を2200句も渡されて、大変なことをお願いしてしまったなあ、と。
神野 でも、だからこそ好き放題言えるっていうのはあるかもしれないですね。
上田 座談会、すげー面白かったんだよ。本当はもっと面白かったんだから。
神野 最後の「ちょっと世代論など」っていうところが一番の肝かなとも思ってるんですけど。たとえば、信治さんの発言の「一周回ってホットなものがあらわれてきている」って言葉。安保世代があって、昭和30年世代があって、そして20年くらい技術論をうんぬんする凪の時代と見える時代があって、今、「一周回ってホットなもの」の時代っていうのは実感としてある。クールでうまくてかっこいい、っていうところの限界みたいなものは感じてます。自分はそうはできないってことなのかもしれないけど。
上田 無名性への傾き、作家性の否定みたいなのってあったじゃないですか。それってすごくポストモダン的というか。そればっかりやっててもどうもかっこわるいなっていうかつまらないなって。表現すること、またそれを享受することというのは、コミュニケーション欲求から成り立っているところもあるのだから、面白い人の俳句を読みたい、でいいじゃないかと。
神野 もちろん作品として、一句が一句のみで良いっていうのは大前提ですけれど、付随してくるものを含めて、自分であり作家であると考えたほうが豊かだし、純朴ですよね。
西原 ひと頃は、無名性もまた作家性の一要素だったわけでしょ?
上田 そうですそうです。その、無名性が、スローガンになってしまっては全く意味がない。
神野 無名性がアリバイみたいになってきてたところを敏感に感じてたってのはあるかもしれないですね。一句が良ければいい、ってそれがアリバイになってるところがどっかにあって。
上田 俳句に個性なんかいらない、っていう人もいますけれど、それは違うだろうと全力で否定したい。
神野 書く以上、わたしの書いたものを読んで欲しいってことだと思うんですよ。これは、わたしが欲深いってことだけではなくて。読んでほしい、読んでもらうために努力するっていうこと。句が良ければきっと誰かが読んでくれるわ、とか…それはないな、って思いますね。他力本願って感じがしちゃう。
西原 ただ、個性を見出すのは、作者側じゃなくて読者側でしょ。
神野 それが、作者であるわたしにも影響はしますよ。
西原 フィードバックするってこと?
神野 そうです。
西原 そういえば、信治さんが150人150句撰をしたときに、分類で「私性」っていうジャンルを設けたじゃないですか。あれは、分かりやすいカテゴライズでもなくて説得力もなかったんだけれども、今から思うと、そのへんに信治さんのこだわりがあったってことやね。
神野 作家性と私性っていうのは・・・
西原 別なんだけれども、信治さんはわざわざ「私性」っていう項を立てたっていう部分ね。そこに力が入ったってことでしょ。「私性」を設けずに、他の項に散らばらせることもできたと思う。それをわざわざ項目として立てたっていうのはこだわりがあったということでしょう。
上田 あれは、予想屋としてというか、潮目を読んでですね、「私」来るだろ、という。アンソロジーにまとめてみると、見えてくるものがあるかな、と。
野口 あ、そうだ、栞については、どうですか?「くわえて七句」。週刊俳句の名前で、100句選にもれた作品から、7句ずつ選んで、22人分、栞として挟んでますよね。
神野 そもそも、なんで栞はさむことになったんですか?
上田 映画でも写真でも一方向からだけライトを当てすぎると、陰影が強く出すぎるじゃないですか。プロの照明は、ちっちゃいライトをこっちから当てるわけですよ。そうするとかえって立体的に見えるという。だから、こういうのもあり、ってやると、ものすごくその作家のことがよく分かるぞっていう。
西原 あの、簡単に言うと、信治さんが付けたかったの。(笑)
野口 うーん、たとえば、撰者のひととかはどう思うのかなあって。(紗希のほうを見る)
神野 正直、わたしが撰した十二国さんの場合は、付けてほしくなかったです。
西原 それはもう、撰者に対する失礼は覚悟の上でやってますよね。
神野 入れようかどうしようか迷って外した句には、外した理由があるわけで。
上田 はい、そうですよね。実は十二国さんは拾遺が選びにくかったひとの一人です。
西原 それは言い訳やね。
一同・笑
野口 ええと、じゃあ、なんのためにこれを付けたんですか?
西原 だから、これは信治さんの欲望なんですよ。『俳コレ』を1冊作り上げただけでは充足しきれず、欲望が残った。
江渡 この作家をこの撰者に選ばせて、っていう意図が全部あったなら、その撰者に任せたほうが・・・
西原 欲望に向かって、そういう正論をぶつけてもダメなの(笑)。栞はプラスアルファの費用が掛かるから、版元も、きっと付けたくない。
神野 だから、プラス料金払ってこれ言いたいかどうか、ってところですね。
西原 やってるときは、欲望の充足に向かって、ひた走ってはったから(笑)。この「くわえて七句」って言葉づかいにはとても気を使いましたよね。
上田 はじめは「コレ拾遺」って言ってたんですけど、なんか、それだと遺漏があったみたいじゃないか、という話になりまして。
神野 わたしは、自分の選を信用されてるとかされてないとかいうふうには思わないけれど、作家をどう見せるかっていうところの考えの話で、抵抗があったな。
西原 僕は、これを見て、信治さんに感心した。ふつうならね、こういうの避けて、やめときますよ。
野口 撰者に対してとか波風立ちかねないですものね。
西原 波風立ててまで、「いや、これもあるんだ」ってくわえたい、っていうね、そのちょっとへんな意味でのポジティヴ?
上田 いい言葉だなぁ。(笑)
西原 そのへんのことを乗り越えてまで自分の欲望をに忠実っていうのは、はっきり言って理解できない(笑)。22人というのは、信治さんからすれば他人です。その他人の作品を紹介したいってことに、これだけの情熱を傾けるなんてことは、ふつうしないし、できない。これは、すごいことですよ、ちょっと異常なくらい。(笑)
神野 栞があることで、週刊俳句編って色が強まった気がします。誰になにをやってもらうかっていうことを決めました、ってだけじゃなくて、週刊俳句の中のひとの多少の傾向が分かる。
西原 でもね、ほんとは本体1冊だけで示すべきなんですよ。撰者のキャスティングで、編者の仕事は終わっているとすべきところです。
神野 まぁそうですよね。天気さんは止めなかったんですか?
西原 止めたっけ? 止めなかったよね。
上田 止めてはくれなかったですね(笑)。
西原 それは、信治さんの熱情のままに出来上がる本だと思ってたから。
上田 というか、読者からしたら、100句と107句は全然違いますよ。気ぃ悪くする撰者の方は最大22人。読者は、千から万単位でいるとなったら、どっちを取るべきかは、自ずから……。
神野 自分たちで100句撰ぼうっていうのは思わなかったんですか?
上田 全部? それは全然思わなかったですね。だってつまんないじゃないですか。
野口 そもそもなぜ他撰にしようと思ったんですか?
西原 単純に、自選と他撰だと、他撰のほうが面白いことも多いよねってことで。
上田 俳句ってそういうものですよね。作った人が読み切れない面白さがある。
西原 あとは、『新撰』『超新撰』との差別化。
神野 これが3冊目でありつつも1冊目である。
西原 連続と不連続を作るうえで、不連続の大きな柱が、他撰。
上田 あと、結社の句会で特選取った句だから入れとかなきゃとかっていうような選句を避けたかった。他撰で得した人はいると思いますね。自分自身が思っているその人よりも、撰者が見出したその人のほうが魅力的だったっていう。
(次回は、神野紗希の推薦句をよみあいます)