(おねむのぴーちゃん)
焼藷の大きな皮をはづしけり 阪西敦子
(『俳コレ』邑書林/2011年12月)
神野 『俳コレ』から選んできました。まず、どの作者にしようかな、というところを決めて…わたしは、読んでみて、いちばん阪西さんが面白かったので、阪西さんの句にしよう、と。で、彼女の良さを代弁したような一句を挙げるなら、やはりこれかな、と。巻末の座談会でも各所でも、話題になっている句だと思いますが、なんども騒ぐことで、どんどん名句になっていくかな、と思っています。高浜虚子以来の、俳句観の王道をいく一句ですよね。『俳コレ』に収録されている俳人たちの句っていうのは、全体に、軽くてポップな印象があったんですが、その中で、阪西さんの句は目立った。句の重さが違うような気がしました。
上田 その重さの違いというのは、なにに由来するんだろうなあ。
神野 なにに由来するんでしょうね…。阪西さんの句って、悪い意味での繊細さが、ないですよね。センチメンタルじゃない。一歩一歩、大きく踏みしめて歩いていくような、そんな俳句。この句も「たしかに、焼芋って、大きな皮がついてるよね」っていう、「あるある」ネタとして捉えることもできるけど、それだけじゃなくって、ぽこっと割ったときに、ごそっと取れる…皮がごそっととれる感じ?そのときの、なんともいえない気持ちってあるじゃないですか。言葉にする前の感情みたいなものがね、出てます、あれを、こう、ごそっとやったときの、かなしいわけでも嬉しいわけでもない、あの、ごそっと…
野口 「ごそっと」何回も言うねぇ…(笑)
西原 紗希さんは、繰り返しで説得していくタイプやな(笑)
野口 「ごそっと」感。
神野 そうそう、「ごそっと」感以外にない。ないってことがすごい。その、ぶれないところが、重さにつながるのかな。芯がはっきりしてるから、遠心力に振り回されない。
上田 その「重さ」というのは結局、季語を詠むということ、なんですかねえ。
神野 そうですね…季語…。季語のことを詠めば季語がその句の中心になるってわけじゃないってところは押さえておきたいんですけど。季語を詠んでも、季語の表層しか触ってない句もある。でも、阪西さんの俳句は、焼藷っていう季語の芯を、ごっそり…(ジェスチャーつき)っていう。
野口 また「ごっそり」…(笑)
西原 焼藷屋が、軍手でごっそり焼藷摑むような?(笑)。この阪西さんの句は、季題の生きのいいところを捉えてるんじゃないですか。
神野 はい。歳時記の「焼藷」のページに、がっつり載せちゃっていい俳句だと思います。
西原 この句、意味を考えたら「大きな皮を外」すのではなくて、「大きく皮を外」すわけじゃないですか。それを「大きな皮」って言ったところが、生きのよさにつながっているんじゃないですか。
上田 面白さの本質に近いところで言葉を使っているということでしょうか?
西原 生きのよさを優先するという…。
上田 要するに、それって言葉の実力なんじゃないですかね。言語能力。筆力といってもいい。
神野 「マンゴーを描きし筆の置かれあり」。それから、焼藷の句と同様、すでに各所で話題にのぼっている「ひんやりと手鞠に待たれをりにけり」。
西原 座談会でも信治さんが挙げてたね。
上田 手鞠の句は、言いやすいから挙げましたけど、むしろ「小鳥来て湖に雨続きけり」とか、こっちを買いたい。焼藷とか手鞠って、ぴしっと、その季語に合わせてくるじゃないですか。でも、小鳥の句なんかは「待ち合わせ、失敗」みたいな感じがあって、そこがいいですね。
西原 「小鳥来る」っていう季語の、ずらしがあるよね。「小鳥来る」で「雨」とはなかなか詠まない。
上田 広いところに小鳥が来る句はあっても、小鳥が来たあとで、ぐわっと視点が広がる句って、あんまりないんじゃないかな。
神野 雨の湖にいて、きっと、ここに小鳥がいるはずだ、ってことですよね。見えないけれど、いる。
西原 小鳥の句のほうが、個人的には愛せるな。焼藷は、すでにいい句でしょ。愛せる句じゃなくて、いい句。僕がわざわざ愛さなくてもいい(笑)。
上田 阪西さんの面白いのは、焼藷の句のような季語の中にある要素を展開して詠むというメソッドでは書かれていない俳句も多いところ。あと、村上鞆彦さんの撰が素晴らしくて。阪西さん、けっこう量をつくるんですけど、プラス七句選ぶ(『俳コレ』には、各選者の百句が掲載されていますが、栞として「くわえて七句」というコンテンツがあります。週刊俳句編集部が、百句に洩れた作品を、七句選び出す、というもの)のが大変だった。
西原 それは、村上さんと信治さんがおんなじベクトルで選んでるからでしょ。違う角度からなら、いくらでもとれたりする。
上田 詠み幅が広いです。いや、広くはないけど、何筋かあって、思うがまま。
神野 『新撰21』『超新撰21』に入っていないこと自体が、出るたび、不思議でした。なんでやねん、と。今回、百句が読めて嬉しいです。
上田 『俳コレ』の座談会で、岸本尚毅さんが言ってたのは、阪西さんは、季語の要素を季語の延長で詠んでる昔ながらの作り方を頑張っているひとで、このやり方でどこまでやれるかっていう作者ですね、と。伝統俳句協会の新人賞をとった句とかは、たしかにその通りなんですけど、そっちは表看板であって、もっと面白いこともやっているぞ、と思って、それでぜひ『俳コレ』には入ってほしかった。
(次回は江渡華子の推薦句をよみあいます)