2012年7・8月 第一回 傷洗ふ秋の水なら消えるだらう  高勢祥子 (千倉由穂推薦)

村越敦×千倉由穂×高崎義邦×神野紗希×野口る理

(7月1日、新宿三丁目にて。ちょうど、陸前高田市の七夕の山車とでくわす)

神野  みなさん、今日はよろしくお願いします。

全員  よろしくお願いします!

神野  日曜日なのにね。ありがとう。みんな年齢をまず聞いていいかな?村越くんは…

村越  21歳です。今年、22歳になります。

千倉  今年、21歳です。

高崎  僕も、今年21歳ですね。

神野  じゃあ、みんな、ほとんど同世代だね。

村越  平成世代ですよ!

神野  あ、そうか!

野口  90年代生まれでもあるね。

神野  今日は、まさに今「平成世代」という言葉が飛び出たように、若いみなさんに集まってもらいました。みなさん、中学・高校時代に俳句と出会って、俳句甲子園に出場した経験もあります。現在は3人とも都内で大学に通っている学生です。

野口  平成世代が、どんな俳句に魅力を感じているのか、どんな俳句的生活を送っているのか、今日はいろいろとお話伺ってみたいと思います。

神野  では、まず3人がどんな俳人なのか、ということで、村越くんから紹介がてら、俳句との出会いなど聞いてみたいと思います。村越くんは、俳句はいつからやってるの?

(九州みやげのかるかんを持ってきてくれた村越くん)

村越  中学2年のときですね。

野口  うるさいな…

高崎  えっ、うるさい?

野口  あ、いや、隣の席のお子さま結構暴れてるなあって…村越くんのことじゃありません(笑)。

村越  え、って感じでした。(笑)

高崎  びっくりした(笑)。

神野  中学2年生のときの、きっかけはなんだったの?

村越  僕は学校のオーケストラに入っていたんですが、そこの先輩に「俳句同好会っていう部活があるけど、面白いから来ないか?」って言われて。「お菓子がたくさんあるよ」って(笑)。

神野  子どもを誘拐する手口じゃないか(笑)。

村越  お菓子につられて参加しました(笑)。

野口  どんなお菓子があった?

神野  そこ!?

村越  お菓子の種類までは覚えてないっすね~。

高崎  てか、そんな食いしん坊キャラでいいんすか(笑)。

神野  でも、そこではじめて俳句に触れてみたわけだよね。どんな印象をもった?正直はじめは引いたとか、意外にアリだったとか。

村越  僕、全然、句会のルールが分からなくて。はじめて参加した句会で、自分の俳句じゃなくて、歳時記の例句をそのまま短冊に書いて提出しちゃったんですよ。

野口  アウトだね~。

神野  自分の句を出すものだっていうことが、分からなかったわけだよね。

高崎  提出した句、覚えてますか?

村越  はい、確か如月真菜さんの、「海の家畳に砂がざらざらす」だったかと…

野口  結構、点が入っちゃったって言ってたよね。

村越  はい。いまだに、ことあるごとに話題にされます(笑)。

神野  俳句甲子園は、何回出て、成績はどうだったの?

村越  3年間、3回とも出場して、2年生のときに優勝しました。

野口  最優秀句に選ばれたのは3年生のときだよね。「それぞれに花火を待つている呼吸」。

村越  そうです。

神野  いい句だよね。私、好きだったなあ。ソフトな言い方も、現代っぽい。

村越  大学に入ってから最初の1年は、俳句から遠ざかってました。でも、母校の開成の句会にはときどき顔を出していて。2年生になって、だいぶ時間もできたし…明確な理由や目的があるわけじゃなくて、ふと「まあ、やるか」って。

神野  今は、どんなふうに俳句を続けてるの?

村越  超結社句会に月2~3回、誘っていただいて出席してます。それから、最近、「週刊俳句」の編集に加わらせてもらうことになりました。

神野  「週刊俳句」の編集をやるようになった経緯は?

村越  「やらないか」って誘われて(笑)。生駒大祐さんが抜けるタイミングだったので、引き継ぐかたちで。あとは、もともと、俳句に関して文章を書く場が欲しいな、と思っていたので。誘っていただいたのは、そういう意味で非常にありがたかったです。

野口  そのポスト、世襲制みたいになりそうだね(笑)。山口優夢→生駒大祐→村越敦。就職したら、村越くんも引き継がないと、だもんね。

神野  俳句以外の生活はというと、今、大学4年生。就職活動は決まったんだよね!

村越  はい。

全員  おめでとう!!

野口  あとは頑張って卒業するだけだね。

村越  鬼門だって言われてる、ある必修科目がまだとれていなくて。今年とらないと、まずいんです。(笑)

神野  そうか、じゃあ俳句だけにかまけていられないのね(笑)。

野口  では、次に千倉由穂さん。きっかけはなんだったの?

千倉  高校1年生のときに、俳句甲子園に出たのがきっかけです。中学から剣道部に入っていて、一貫校だったので高校に上がってからも当然のごとく剣道部に入部したんです。でも文章も書きたいと思っていて極限に悩んでいた時、廊下で文芸部の顧問の先生とばったり出会って、文芸部に入り直すことに決めました。兼部することも思い浮かばすに(笑)

神野  強引な先生やね(笑)。

千倉  ちょうど、先輩たちが俳句甲子園に初出場したっていう頃で。「なになに、俳句甲子園って」っていう感じでした。「愛媛にもいけるぞ!」って言われて、「飛行機に乗れる!」と思って(笑)。

村越  それは大きい(笑)。

神野  出身校は、仙台白百合学園高等学校だったよね。

千倉  はい。私は1年生と3年生のときに、俳句甲子園に出ました。基本は文芸誌製作メインの部活だったので、編集の詰めと甲子園の時期がかぶって、夏合宿は皆ほぼ寝ずに活動した思い出が(笑)

神野  そのあとは、大学進学で東京に来た。俳句は続けてるの?

千倉  続けてます。高野ムツオ先生の結社誌「小熊座」で、東京でも句会をやってるよって聞いて、それからずっと参加してます。これもまた不思議なことで、3年の冬に部活の東京での受賞式の帰りに、ムツオ先生とばったり会ったんです、広い東京駅で。その時に、俳句を続ける気持はある?と聞かれて、あります!と答えました。

村越  へえ、すごい。

神野  高野さんとは、高校時代から、俳句甲子園の審査員と出場生徒という関係だったし、地元も仙台だったから、交流はあったんだよね。

千倉  はい。でも「小熊座」に投句するようになったのは、結構最近なんです。冊子だけ届けて頂いていて、投句の仕方がよく分からなくって。「みんな載ってるなあ」って、読むだけ。1年後くらいに、高野先生に「ところで投句はしないの?」って言われて「え、投句するもんなんですか!?」って(笑)。

神野  そっか、結社に入ると投句するものだ、というシステムが分からなかったんだね。

野口  もっと早く言ってくれればいいのにね(笑)。

神野  句会の仕方が分からない人がいたり、投句の仕方が分からない人がいたり(笑)。

野口  今は「小熊座」以外の句会には出てるの?

千倉  いえ、ずっと「小熊座」だけだったんですが、このあいだ本郷句会にはじめて参加しました。大学に入学当初は、軽音サークルに入って新しく楽しいことを見つけたというのもあって、少し俳句から遠のいていた時期もありました。

野口  何を弾くの?

千倉  ベースです。

野口  いいねぇ!

千倉  でも、今は幽霊部員です(笑)。

神野  そうなんだ(笑)。では、高崎くんにも聞きましょう。

高崎  お願いします!

神野  高崎くんが俳句はじめたきっかけは何だったの?

高崎  僕は、出身が、田舎の中高一貫校だったんですよ。

神野  愛媛の愛光高校だよね。

高崎  はい、山の上に学校と寮がある、隔離生活で。「何かしたい!」ってずっと思ってて。小説書きたいとか、映画作りたいとか、試してみて、でも僕は飽き性なのでことごとく続かなくって。高校1年生の夏に、実家に戻ってテレビ見てたら、ローカルニュースで「今年も俳句甲子園が開催されました!」みたいな放送があって。「優勝は開成高校です」っていうニュースで、いやいや、愛媛で開催してるのに、愛媛の学校が勝てないなんておかしいだろって思って。

野口  それって、村越くんが優勝したときじゃないの?

村越  たぶん、そうですね。

高崎  おれが出て、優勝してやる!って、なぜか思ったんですよね。

神野  使命感にかられた。

高崎  俳句なんて、やったことなかったんですけど、「来年はこれに出て優勝するんだ」って心に決めまして。夏休みが終わって、寮に戻ってきて、友達に「俳句甲子園っていうのがあるんだよ、一緒に出ない?」って誘ったりしてて。

野口  ふむふむ。

高崎  そのときはまだ、のんびりしてたんですけど、二学期に学校の国語の授業で、池田澄子さんの「じゃんけんで負けて蛍に生まれたの」の句が取り上げられたんですよ。「これはもう、俳句、やばいわ」「これ、俳句やる価値あるわ」って、その場にいたやつらみんな衝撃が走って、「よし、やろう!」って火がつきました。だから、最初は、俳句甲子園を目指すかたちで、俳句をはじめました。

神野  句歴は、てことは何年くらい?

高崎  4年…いや、5年ですね。

村越  今、学年で逆算しただろ!(笑)

高崎  学年の話、するんですか!年齢だけでいいんじゃないですか!

神野  ん、どういうこと?

高崎  僕、一浪かつ、一年留年してるんです…。

神野  おお。

高崎  今年、大学一年生、二年目です(笑)。

神野  一浪しているあいだは、少し俳句から遠ざかってたんだよね。大学はいって、もう一度、俳句をやってみようと思ったのは?

高崎  いったんハマったら、やっぱ抜けられないんじゃないかな。だから、いつまでも作っていたいと思っています。大学はいって、句会をまず探して。本郷句会と、もうひとつ、超結社の句会に誘っていただいて。

神野  俳句以外の生活は、今、どんなかんじなのかな。

高崎  お笑いサークルに入って、コンビを組んで、こないだはじめてライブに出ました。

神野  お笑い、好きだったの?

高崎  いや、“先輩”が欲しくって。今、楽しいです。今日は、このあと先輩のライブを見に行きます。

傷洗ふ秋の水なら消えるだらう  高勢祥子
(アンソロジー『水の星』私家版、2011)

千倉  この句を読んだとき、秋空のもとに広がる高校のグラウンドの様子がばっと広がってきました。体育で怪我をしてしまって、一人でグラウンドの隅っこにある手洗い場で、後ろのほうに皆の歓声なんかを遠く聞きながら、水音だけが強くして、じゃばじゃばと自分の皮膚にかかっている様子が想像できました。夏の水でも、春の水でも、冬の水でもなく、秋の水だから澄明に感じます。

村越  なるほど。

千倉  傷口って、手を使えないじゃないですか、砂がついていたり、触ると痛いから。だから、水の勢いだけで、傷を洗っている、そのかんじも清々しくて気持ちがいい句だと思いました。「傷洗ふ」という動作にも魅力を感じました。

神野  「秋の水」のチョイスがいいね。秋の水は「水澄む」っていう季語もあるくらいだから、どこまでも清潔な感じがする。

野口  「消えるだらう」っていうのは、傷が消えるってこと?それともバイ菌とか?水?何が消えるって取ればいいのか、ちょっと分からなかった。

千倉  私は残ってしまいそうな傷跡だと思いました。

野口  傷跡になっちゃう前提で、秋の水なら傷が消える、と。

神野  たぶん、一句の中に主語が二つあるから、分かりにくくなってるんだよね。「傷洗ふ」のは自分だけど、「消える」のは傷。だから「傷洗ふ」でいっぺんバシっと切って読むんだろうけど、「傷洗ふ秋の水~」とさらっとつなげて読めちゃうから「消えるだらう」のところで「あれ、何が?」という疑問が出てきちゃうのかしら。

野口  「消えるだらう」がどう掛かっているのかが分かりにくかった。

神野  私、はじめは「秋の水」が消えていくんだと思った。

野口  水でも、傷でも、痛みでも。消えていくものが示されていないので、いろいろ考えられるんですが…。

神野  秋に、澄んだ水をじゃぶじゃぶ使って、創った傷を洗い流してるっていう光景は、私も好きだな。傷と言いながら、穢れない空気感。

村越  僕は、秋の水で傷を流すと、傷がだんだん癒えていく、っていうふうにとりました。秋の水の澄明さが生きている。「消えるだらう」は好みではないですけど、じゃあ「消えにけり」とかにしなかったのは、あくまで現実にとどまろうとしていて、いいと思いました。

神野  「なら~だらう」はちょっと気分に流れてるような…「なら」はいらない気がする。最後にぽつりと「消えるだらう」って呟くだけのほうが、傷のようなものが意識されてくるような。

千倉 「消えるだらう」としてあるからこそ、ぽつねんとひとりであることがより感じられると思います。

野口  「なり」とか。「秋の水なり」。ここで切ってみる。

神野  ああ、そうだね。高崎くんはどう?

高崎  僕、これ夜のことだと思ったんですよ。

神野  え、どういうこと?

高崎  秋の夜長に、自傷行為があって、秋の水なら消えてくれるんじゃないかって…。

村越  読めなくはないか。

神野  この句の「傷」が、ただの傷じゃなくって、心の傷の匂いもするから、自傷に思い至ったのかもね。

高崎  そう、だから、かなり淋しいイメージでした。

千倉  夜のイメージ・・・薄暗い台所で主婦がグラス片手に佇んでいるようなところも浮かんできました。これはちょっと、ただならぬ気配がしますね…。

神野  由穂ちゃんはさっき、春でも夏でも冬でもなく、秋の水だからいいっていうことを説明してくれたけれど、やっぱり季語っていうのは大きいなって思う?

千倉  はい。秋っていうことで、広い中でぽつんと居る感じが出てくるのも、秋の水の効果かな。健やかさもありますよね。

神野  空も広いしね。広いからこそ、孤独感が広がる。由穂ちゃんは、無季の句はつくる?

千倉  いや、作らないです。読みたいフレーズや内容があって、どの季語ならそれを活かせるだろうと思って考えたり、逆に季語から色々発想を広げたりします。どちらにしても、季語のもっているイメージの広がりを、大切にしたいなと思っています。東北から関東に出てきたばかりの頃、移動といえば電車ばかりアスファルトの上ばかりで、季節感が消えて、平たくなってしまって、のっぺらぼうのような時期がありました。でも日常にある季節、季語に気付くようにしていく中で、少しずつ季節が戻ってきました。季語は大切だと思います。

神野  季語の知識があるかどうかで、俳句がどう読めるかもまた違ってくるよね。この句も「秋の水=水澄む」だと分からなければ、というか秋という季節が言葉としてもっているイメージが理解できなかったら、味わいがかなり減ってしまう。

村越  それはありますね。

神野  そこが、俳句の面白さでもあり、ハードルでもあるのかな。

(次回へ)