2012年7・8月 俳句甲子園の話②

村越敦×千倉由穂×高崎義邦×神野紗希×野口る理

神野  俳句甲子園出身ですってことを俳句の人に言ったときに、どういう反応をされる?

高崎  えええ、さきさんはどうなんですか?

神野  私は実は、わりと風当たりが強かったという印象があるのね。俳句甲子園出身で、俳句をそのあとも続けてる世代の、一番上になるのかな。

野口  風当たりが強いっていうのはどういう感じなんですか?

神野  「あー、あの俳句でバトルする大会?」「イベント系、そっち系ね」みたいな。地味に俳句を作ってて、単に俳句が好きだってだけだということが、一緒に句会してもらえるまでは分かってもらえないというか。

村越  なるほど。

高崎  でも、それはさきさんはじめ優夢さんとかが頑張ってるから、僕らの風当たりは特に悪くはないです。

村越  そうですね、僕もほとんど感じないです。

神野  私も最近は、出身のみんなが頑張ってくれているので、むしろプラスに受け止めてもらえる機会が増えました。これはありがとうだね。じゃあ、今、自分から甲子園出身者だと名乗るのは抵抗はない?

村越  ないけれども、別段言おうとも思わないですね。

神野  まあ、そりゃそうだよね、きっかけだからね。

高崎  そうですね。

神野  あと俳句甲子園で問題になるのは、俳句を点数化することかな。

千倉  私は顧問の先生に、俳句甲子園に出る初めの頃に、そもそも俳句を出してディベートしてここは良くないって言ったり作品を点数化することは邪道なんだから思いっきり楽しんで来いよ、って言われました。とりあえず楽しんで来い、と。

神野  そうだよね、そこはもう分かった上で、だよね。なんで10点のはずなのに8点なんだ、って真剣に悩んじゃうととつらい。

千倉  ディベート点があるから、良い句でも負けちゃうし。

神野  そうだよね。

千倉  去年、母校に行って後輩の練習を手伝いに行ったんですけど、負けるのを怖がって怯えてディベートを続けるという時期がって。で、それはダメだなって思いましたね。

高崎  点数化は、問題にされるけどしょうがないって部分でもあるかなと思います。どう割り切るかってことで、システム自体はしょうがないですよね。

神野  それなかったら勝敗つかないもんね。(笑)

村越  あとは、結局相対的な評価ですよね。たとえば8点であるか9点であるかっていうのは、その時の場の雰囲気とか流れとかもあると思うので。それは、自分が句会の中で選をするときに、頭の中で相対的に比べてやるわけじゃないですか、それが可視化されてるだけだと思うので、あまり抵抗はなかったですね。

神野  俳句甲子園って、多数決でしょ。今は、決勝とか準決勝の13人のうちどれだけ点が取れるかっていうことになってる。一方で俳句は多数決じゃなくて一人の愛してくれる読者がいればいいんだ、っていう考え方もあるよね。これは俳句甲子園が非常に分かりやすい俳壇の縮図になってて良い例だなって思うんだけど、ある程度支持を得た人のほうが作家として出やすくなるよね。俳句甲子園に限らず一般的に。

高崎  たしかにそうですね。

神野  だからといって、誰にでも分かる俳句を作ろうって気持ちが逆に句を濁すっていうこともある。自分の作品の読者をどう設定するか、っていうところに、実は、俳句甲子園から俳句をはじめたってことが、関わってるような気がするんだよね。

村越  なるほどー。

野口  俳句甲子園に出る高校生たちは、審査員の先生の評価を意識して句を作るっていうのはあるんですか?

高崎  ありますね。いわゆる高校生らしさ、とか。普通の句会では、僕は離婚の話とか、僕の友達はお父さんが浮気した話とかを俳句にしてたんですけど、それは俳句甲子園ではタブーってなっちゃう。

神野  タブーになるっていうのは、やめとこうぜって感じになるの?

高崎  そうですね、いわゆる高校生らしさに反しちゃうから、自粛というか出さないですね。

神野  前に、高校生以下の俳句大会にウイスキーの句が出て。とってもいい句だったので選んだけれど、特選になっていくかというとまた難しい。

高崎  ははは。(笑)

神野  ふだん作っている俳句と、俳句甲子園に出す句のタイプが違ったりした?

高崎  僕は全然違いましたね。

千倉  そうですね。ディベートで守りやすい句を意識して選んでしまったりということはあったかも。

村越  僕は3年間かけて、その差がなくなりました。最後は書きたいものをとにかく書き続けて、それが先生のおめがねにかなうかどうかってところでひたすら勝負してたので、これは自分の作品じゃないってものは出さなかったですね。

神野  うんうん。

野口  でも、審査員対策ってやろうと思えばどこまででも出来ちゃいそうだけど。

高崎  それってゆゆしき問題だと思うんですよ。僕は、秋から俳句をはじめて、俳句甲子園までいろんな俳句をつくって俳句を好きになる土壌ができてから俳句甲子園に臨めたし今でも続けられるけど、直前からはじめて俳句甲子園の兼題の句しか作らず、俳句甲子園で勝てる俳句しか作らずに終わっちゃうと俳句の楽しみが分からないままというか、やっぱり残らないですよね。だから、そこをどうにか俳句界全体で見て、若者が欲しいんだったら俳句を好きになる方法を提示してほしい。そうじゃないと、俳句の楽しさって気付けない人が多いんじゃないかなって思うんですよね。

神野  そういう風に思うってことは、俳句甲子園っていうのはひとつのかたちではあるけれど、俳句の楽しさっていうのは少し別にある、ってことかな。

高崎  そう、一致している部分もあるけど、違う部分もある。

野口  読者を設定するっていうこと自体は、ふつう、だと思うんですよね。たとえばこの中で結社入ってるのは、小熊座の千倉さんだけですけれど、投句のときに先生のこと意識したりとかはする?

千倉  しないです。

村越  しないのか、逆にびっくりした。(笑)

神野  ウケるウケないっていうよりも、自分をぶつける、って感じなのかな?

千倉  そうですね。

村越  先生の選が入らないと悲しくならないの?

千倉  悲しくなりつつ、次の句会でその句のどこがだめだったのかなんかを聞くようにしてます。

野口  じゃあ、たとえば高崎くんだと、同世代にウケる句を作りたい、とか意識したりしないの?

高崎  やっぱ、句会のメンツとかは考えちゃいます。でも、俳句甲子園の読者の設定の仕方って、そういうのとちょっとずれる気がします。やっぱり勝敗があるから。句会に持ってくために作る句と違うと思いますよ。

村越  そう?一緒だよー。(笑)

高崎  そうですか?

村越  もちろん自分が書きたいものがあるっていう前提があるけど、俳句甲子園に出して勝ちそうな句があるのと、句会に出して点入りそうな句があるのって同じだと思うな。

高崎  でも、これは句会で点が入っても俳句甲子園では勝てないよ、って言われたことありますよ。

神野  うーん、でも、まあね、最低限のボーダーがあるっていうのは同じですよ。俳句として出来てるかどうかっていうね。「自分の思いがつまってます!」というのは分かっても、俳句としての最低ラインをクリアしてないと…というのは、句会でも俳句甲子園でも同じなんだけどね。

野口  それは審査員とかじゃなくて読者全体に向けてのボーダーでしょう。

村越  まあ、句会っていうとまた特殊な文脈になっちゃうけれど、たとえば総合誌に作品を発表するテンションで俳句甲子園に句を出してるかってこと。結局、自分が良いと思って納得したものを出すかってこと。

高崎  いや、でも、総合誌に出すときに、季語が動くかとか「や」が効いてるかとか、いわゆる俳句甲子園的な視点では考えないでしょ。

野口  いや、むしろ、考えたほうがいいよ。

神野  そうだね。(笑)

高崎  いやいや、こうシステマチックに、というか、ここ攻められるなとかは考えないでしょ。

村越  でも、俳句甲子園も作品ありきだと思うよ。

高崎  もちろんそうなんだけど、そこまで分かってる人もいれば分かってない人もいると思うし難しいところで。

神野  あのー、良い俳句作れば良い点取れると思うんですよ。

村越  本当にそう思う。

神野  開成高校の俳句なんかは特に矢面に立たされることが多くて、まだまだ物足りない俳句なのになんで勝つんだってやっかまれることもあるけど、それは他が開成以上の俳句を作れてないからなんじゃないかな。これは良い句だっていう句は、たぶん、流派とかを超えて分かると思うよ。ある程度の先生たちの多数決ならなおさら。広い意味で、本当に残っていく名句って、前衛系の人だけが支持してるんじゃないし、伝統派の人だけが支持してるんじゃない。歴史的に見ても、ある程度、多数決で決まってく訳ですよね。だから、俳句甲子園って審査員のウケを狙って作るから邪だなんて悪い意味で言われることが多いけど、多数決を考えて作ることってそんなに悪いことだとは思わない。むしろ考えた方がいい、と思うくらい。

村越  ほんと「起立礼着席青葉風過ぎた」の句が出たときに、会場全体がどよめいたと思いますもん。いろんな審査員がいるはずなのに。

神野  全然覚えてなくて。でも、私はああいう句が作りたくて作ってただけで、自分が作りたい句と俳句甲子園に出す句っていう二項対立考えたことあんまりないのね、ジレンマはなかった。それは幸せなパターンだと思うけど。

高崎  ええと、俳句甲子園で良い句が評価されるっていうのは分かるんですけど、各高校で作る時点で、各々に才能があったら良い句が作れると思うんですよ。でも、才能が開花する前に、俳句甲子園的なものっていう足かせができると、良い句に向かう前に抑える力が出てきちゃうと思うんで、それを防ぐような土壌を作るべきだと思うんです。

神野  そうだね。だから、あれしちゃダメ、これしちゃダメっていうセオリーを先にあびて、俳句のアレルギーになっちゃうともったいない、ってことだよね。でも、たぶん、いま参加している生徒たちは、みんなのびのびやってくれてると思うんだけどねぇ。

村越  今年の東京予選も、結構良い句が出てたって話を聞きました。いろいろな方があちこちコーチに行っているみたいですが、俳句って面白いんだよ、ってところから始めてるという感じが伝わってきてて、のびのびした句が出てくるっていうのは良い傾向だなって思いました。

神野  そうなってくると今度は、俳句甲子園出身の人が現役の高校生たちに俳句を教えに行く機会が多くなってくると思うんだけど、自分がもっている俳句観・主義主張と、何を彼らに教えるかっていうことは、また違ってくるべきなんだよね。俳句甲子園で自分が実現したいことを子どもたちにさせるのではなくて、自分の知っている俳句の楽しさを、また下の世代に伝えていけるようなかたちで接していければいいよね。

野口  でも、卒業してから何年も経ってるはずなのに、俳句甲子園であのときあのチームに負けた、とかって話よく聞きますけどね。私は外から見てて、やっぱりそれほど衝撃の大きい体験をする場所なんだなって思いますけど。でもまぁ、その人の性格によるものなのかな。

千倉  それは、あいつに負けた、あいつめ、っていう思いなんですかね。

野口  いや、自分は認めてもらえなかった、っていう思いなんじゃないかな。

千倉  私も負けたけど、そんなに否定された気にはならなかったですね。

神野  そうだよね。

高崎  いや、でも思う人は思うと思いますよ。僕はわりと良い思い出として残ってますけど、たぶん、すごく頑張って作った自分の良い句がなんにも触れられなくって他の人の句が褒められてたりしたら悲しいと思います。

千倉  たしかに、試合が始まって、立って自分の句がバーンと出されて披講して、負けたら、やっぱりショックですよね。

神野  剣道の試合の団体戦とかと一緒で、自分が負けてチームが負けた、あぁ私のせいで負けたっていうつらさはあるんじゃないかな。

野口  うんうん、チームの勝敗とは別に句の賞もあるんだし、句がちゃんと評価されるシステムにはなってると思う。

(次週に続く)