(ピンポーン)
神野 お邪魔しまーす。
酒井 いらっしゃい!
野口 とりあえず、座っててください。
神野 おお、ありがとう!もしかして、サンドイッチパーティー?
野口 そうです♪
酒井 麦茶どうですか。
神野 いただく、いただく!
酒井 お疲れ様です(注ぎながら)。
神野 いえいえ。
野口 雨、降ってましたか?
神野 うん、ちらほらってかんじやったよ。
酒井 (カーテンを開けて外を見て)え、でも、今すごい降ってますよ。
神野 あれ、じゃ、ぎりぎりセーフ?
野口 ですね(笑)。
神野 ということで、今日は、酒井家にお邪魔してます。9月は、酒井くん、る理ちゃんと3人で、俳句甲子園の高校生たちの俳句を読みあいたいと思います。二人も、当日、俳句甲子園を見に来てたんだよね?
酒井 はい。
野口 土曜日の夜に松山に着いて、日曜日、いちにち観戦しました。
神野 私も、土曜日夜と日曜日、俳句甲子園の裏方をお手伝いしていたので、試合も見てました。
酒井 日テレの俳句甲子園の番組も、録画してますよ。
神野 お、ぜひ観ようよ。
野口 私たちもまだ見てないです!どんなふうになってるのかな。
神野 いまわたしたちの手元には、俳句甲子園のHPに発表されている、優秀作品の一覧があります。今月はこの中から、いくつか気になる句について、語り合っていきましょう。
野口 はーい!
日食が起きていたのか蟇 西村七海
(第15回俳句甲子園 個人優秀句)
酒井 今回の大会は巧い句だけでなく面白い句がとても多いな、という印象がありました。
神野 そうやね。「さわやかな(ときに悩める)高校生」という、わかりやすく大人が求める姿ってところを抜けて、ユニークな句がたくさんあったように思います。
酒井 そんな中から、入選したこの句を上げたいと思います。「日食が起きていたのか蟇」(西村七海/仙台白百合学園高等学校)。
野口 ふむふむ。
酒井 日食が偉い騒ぎになったのは夏休み前でしたね。早いものですね。「日食が起きていたのか」と、単に日食に気づかないだけでなく、寧ろそういう喧騒に背中を向けるようなアンニュイさにまず惹かれました。
神野 少し冷めてるところがいいね。
酒井 季語の選択も適切かと思います。「夏の朝」とかやっちゃうとそのまんまですが、ここでは蟇が妙な存在感を放っている。作者は日食が終わってしまったことに気づきつつ、まだあまり目も覚めずうつろな感じで庭にでも佇んでいるんでしょうが、それを蟇がギロッと睨んでいる。シュールな画ですね。
神野 「日食が起きていたのか」というつぶやきは、蟇のものかもしれない、と考えてもいいね。ブロックの下からのそのそと出てきた蟇が、異変が起こったあとの空気感に気づいているような。
野口 日食が起こると、チンパンジーが空を見上げて身を寄せ合ったりペンギンが眠ったりと、動物たちにも異変が起こるそうですが、先日の金環日食では特に影響は見られなかったと言われていますよね。私は、この「蟇」もどちらかというと異変に気づいていない感じがする。人間の変な期待に左右されないリズムがあるというか。
酒井 今回日食が起きたのが朝だったので、僕はこの句は朝の景だと思っていました。ただ昼なら昼で、じりじりとした暑さの中で「ああ終わったんだ」と佇む人の姿がきちんと立ち上がってくる。シンプルな表現でこんな風に景が立ち上がるのは、やっぱり季語の力も強いと思います。
神野 わたしも、朝がいいと思いました。「起きていたのか」というつぶやきからは、涼しさのようなものを感じるので、暑くてたまらないよりは、お昼前の、まだ風の吹いている様子が想像できました。
酒井 この日食を見ている人は限りなくサブカル女子に近い感じだと勝手に思っています。夜明け前くらいまで漫画書いてた系かと。
神野 漫画(笑)。
野口 たしかに、朝がいいと思いますね。真昼とかだと、はっきり分かると思うし。
酒井 高校生らしい/らしくないという不毛な議論が毎年この時期に流れてきます。そういうこと言っちゃうのは老害だぞって自戒も込めて思っています。今大会の作品は、そういう性悪な外野の声を作品の質そのもので黙らせた。って思うのは僕だけでしょうか。
神野 「高校生らしい」に限らず、「○○らしい」というのは怪しいからね。「○○らしい」というのは、「一般的な○○のイメージに沿っている」ということ。でも、俳句って、「らしさ」から外れたり、「らしさ」をずらしていったりする、異化していく、そういうところが本領だと思うから、俳句で「高校生らしさ」「若者らしさ」を褒めてるときは、ちょっと怪しい。その真意を探らないと、うなずけないなって感じ。
酒井 そうなんですよね。一見褒めてるようで、それって褒められてんのか?みたいな。そういう意味で、今まで賞をとったり入選する句は、よくできているな、うまいなとは思うけど、ずれがないというか、なんか作者が見えてこない感がありました。後輩の宇野くんの言葉を引用するならば「自分の言葉・表現で勝負」していない句も一定数あったように思う。
神野 なるほど。
酒井 何を自分の言葉というか、個性と見るかも人によって分かれますが、例えば、入選した「蝿捕器に溜まった死骸日曜日」(野川奈桜/仙台白百合学園高等学校)とか「涼しさやラジオドラマの銃の音」(永山智/開成高等学校B)、「二百十日ステーキの血を味わって」(米林修平/洛南高等学校B)とかは、作者自身の物の見方、感じ方がきちんと投影されている。こういう句を生み出す苦労は相当だと思いますが、見ている側としては楽しいですよね。アーティストがたくさんいる、みたくワクワクする感じ。
神野 「蠅捕器に溜まった死骸日曜日」、面白いよね。なんで日曜日なんだろう。
野口 休日ののんびりした感じの裏にも、死んでゆく虫がいる、ということでしょうか。「溜まった」というのがリアル。
神野 一週間忙しくしてて、家のいろんなことにあんまり気づかないまま、朝出て夜帰ってパパッと歯を磨いて寝ちゃう。だけど、日曜日にようやく時間ができて、のんびり台所で朝ごはんの準備したりして。そんなゆるやかな時間の中で、蠅捕器に目がいって、「ぎゃ」、死骸が結構ある、っていう。「溜まる」って、なかなか生々しい表現よね。平日の流れの中にぼんやりとある、空白としての日曜日のけだるさが、なんかどろりと呑みこまれるように了解できました。
酒井 死骸が溜まるって、冷静に考えるとグロテスクですけどね。それをグロ一直線で突き抜けさせずに、日曜日というところで落ち着かせる。上手いなぁと思います。
神野 「二百十日ステーキの血を味わって」、血もおいしいと思えるステーキって、リッチだよね(笑)。贅沢な句。
酒井 いいもん食ってますね。でも美味しいとかジューシーとかではなくて、何かの肉を食らうという行為そのものにフォーカスを当てている。それがいいとか悪いとかではなくて、本質を言っている感じ。
野口 私はグロテスクな句だなあと思いました。「血を味わって」ということで、血も肉も見えてくる。肉を食べるということの野性的な本質をも見つめている句ですよね。血が美味しいとか、肉が美味しいとかって、あらためて言いとめると、結構危険な感じがする。(笑)
神野 二百十日っていう不安定な気候を暗示する季語に「ステーキの血」を取り合わせることで、不穏な気分が強まるし、稔りを予感させる時期でもあるので、満足に食べるっていう行為が二百十日と響きあってもいる。
(次回は野口る理の推薦句をよみあいます)