夏ふたり槍を投げあひ死にあへり   中村安伸

槍を投げあうと、死ぬ。こういう当たり前の事実が恐ろしい。
遊んでいる途中のような風景、なんだか楽しそうなところがさらに恐ろしい。
うまく死ねた感、つまりどちらかがうっかり生き残ってしまうことのない変なハッピーエンド感。
チャンチャン♪とオシマイの合図があるようなこの文体の軽さに、たじろぐ。
これは、能村登四郎の「春ひとり槍投げて槍に歩み寄る」を踏まえてのものだろう。
比較してみると、登四郎句の「春」の繊細かつセンチメンタルな季節の必然性、
安伸句の「夏」のじりじりとある青春性や生命感を感じさせる季節の必然性、を感じる。
登四郎句の「ひとり」は、それでも「槍」がいる、ということに救われもし、また余計に苦しくもなる。
安伸句は、「ふたり」いたはずなのに、誰もいなくなり、
それでも『そして誰もいなくなった』さながら、誰か(作者)が暗躍している姿が見え隠れするようだ。

「立体視」(『俳句 7月号』角川学芸出版、2011)より。

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