虹立ちて忽ち君のある如し   高浜虚子

恋の句と読みたい。
きらきら輝く「虹」に重ねることによって、「君」はまぶしい存在であることがわかる。
虹のような君のような虹、を見ている。「虹」も「君」のことも愛している。
儚いから愛してしまうのではなく、愛しているからこそ儚いと思うのだろう。
「如し」とあることから、君が実際に「ある」訳ではないことがわかる。「虹」は「君」ではないのだ。
このように一句に仕立てることによって、一瞬は永遠になり得るのだが、その一瞬そのものではない。
虚子は「虹消えて忽ち君の無き如し」という句も作っている。
「虹」の消失とともに、恋から少し離れるが、今この一瞬をも、消失するのだ。
だからこそ、きっと、なかば慌てて、そのものではなかったとしても永遠にしようと、一句にするのだ。

週刊俳句編『虚子に学ぶ俳句365日』(草思社、2011.6)より。

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