草笛となるまで草を替へにけり   中本真人

草笛を吹くのに重要なことは、自分の唇と草の相性である。
技術的なことはさておき、良い音が鳴るかどうかは草次第だ。
良い音の鳴らなかった草をぽいぽい捨てている景は、残酷である。
この場合、草笛のできない草は、ただの草なのだ。
ある価値(ここでは良い音を鳴らすということ)のみを追求する行為が、
ただただ純粋であればあるほど、残酷さが際立つ。
そして、この自然な文体と、草笛の素っ頓狂な音に、リアルを感じさせられる。

『庭燎』(ふらんす堂、2011.8)より。