芽キャベツのうつらうつらと踊りくる   SST

「うっらうっら」と読んだせいか、芽キャベツの大群の、重く暗く恐ろしいようなリズムの踊りを思い、
こちらが芽キャベツ界に迷い込んだ異物で、踊らないと身の危険があるようにすら感じる。
「うつらうつら」と読むと、たちまち、軽く明るいやわらかなリズムの踊りを思う。
1個の芽キャベツが、ふらふらとこちら側に迷いこんでくる感じ。
「芽キャベツ」がいい。1個だと可愛いが、集まると気持ち悪い。
剥いても剥いても中身がない(ないわけではないけれど)感じも合っている。
「踊り」も必然性がある。踊るものと踊らないものとの間には断絶が分かりやすくあり、
芽キャベツと自分が異なるものであることを意識させられる。
次の瞬間踊り始めると、自分は芽キャベツと同一体になる予感をはらみつつ。

「鳥籠は鳥のやうな何かを得る」詩客、2011.5.20)より。

これはSST(榮猿丸、関悦史、鴇田智哉)による合作実験だ。具体的な方法は、関悦史による解題にある。

連句ではなく、独立した複数の句を特定の作者個人に直結しない形で制作すること。ただしシュルレアリスムの自動記述や、上五・中七・下五を無作為 に組み合わせるだけの天狗俳諧のような形でではなく、バンド活動における作・編曲のように一応の統御がなされ、しかもそこから3人の誰でもない人格のよう なものが出てくることが望ましい。(「鳥籠は鳥のやうな何かを得る」解題より抜粋)

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