くしゃくしゃの祈りをひらき祈るなり   四ッ谷龍

祈るということと、手は、近い。
かたく握り締め組んだ手の中にある祈りを、そうっと取り出して、
それを優しく開き、その皺を伸ばし、また再び手を合わせ祈る。
「手」という単語を使わずに表現しているが、どれも手が行う作業である。
もちろん祈りそのものにかたちはないのだが、抽象的な言葉だからこそ祈りにかたちを与える不思議。
「祈」を強調する平仮名の多い表記や、
「祈り」という名詞から「祈る」という動詞への転換にレトリックが見える。
自分の外に「祈り」があって、それを自分の内に取り込み「祈る」こと。
なにもかもを引き受ける包容力を感じ、また、そのなにもかもを信じ守る強さを感じる。
なんだかもうなにかと祈らずにはいられない今日この頃だが、
丁寧な気持ちと覚悟を持って祈らねばと思わせられる。

『大いなる項目』(ふらんす堂、2010)より。

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