六月の何度か切れるアーケード   小池康生

「アーケード」はなんだかわくわくする。
田舎に住んでいた私にとってはアーケードは市内に行けばあるもので都会のイメージだった。
商店街にはいろんなお店が集まっていて活気があって。まず「アーケード」という響きが特別な感じがする。
上京してからは、身近にアーケードがあまりない。少し郊外のイメージとなり、郷愁のあるものとなった。
どんよりとした「六月」の、ある日は蒸し暑く、ある日は肌寒い気候から、離れているような世界。
「何度か切れる」というドライな捉え方によって「アーケード」を現実のものとして生き返らせ、
少し外側から、その中に生活があるということを描いている実直な一句。

『旧の渚』(ふらんす堂、2012.4)より。