冷蔵庫までの時間を問はれをり   水口佳子

特に、夏場。スーパーマーケットやケーキ屋さんなどで冷たいものを買うと、
持ち歩きの時間はどれくらいですか?、と店員から訊かれることがあるだろう。
たとえば、1時間くらいです、と答えればそれ相応の保冷剤をつけてくれるのだ。
そのワンシーンを一句に仕立てているのだろう。
一句というものは唐突だ。その前後の情景なくして、唐突に冷蔵庫までの時間を問われている。
本当に、単純に冷蔵庫までの時間を問われている可能性を多分にはらみ、
オートマティックな現実世界から、ちょっと不思議な世界へいざなうのだ。
家までの時間ではなく「冷蔵庫までの時間」とすることによって、
なんでそんなことを問われているのかという違和感を生みつつ、
保冷剤の都合なのだなという現実としてのアリバイを作りつなげているところが心憎い。
簡単な言葉運びだが最後を「をり」とすることによって臨場感が生まれ、
問われて少ししどろもどろになっている人の姿が見えて、読者もつられてうろたえてしまう。
日常が不思議なものになってしまう快感は、俳句形式だからこそより味わえるものなのかもしれない。

『銀化 10月号』(2012)より。